「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」⑦ 北条政子ゆかりの史跡
源頼朝と結ばれた伊豆国出身の北条政子は、多くの時間を鎌倉で過ごしました。20代で鎌倉に入り、寿永元年(一一八二)に嫡男頼家を出産。建久三年(一一九二)には実朝…
源頼朝と結ばれた伊豆国出身の北条政子は、多くの時間を鎌倉で過ごしました。20代で鎌倉に入り、寿永元年(一一八二)に嫡男頼家を出産。建久三年(一一九二)には実朝…
建久十年(一一九九)正月。源頼朝がなくなりました。そして亡骸は大倉幕府の裏山に葬られました。そこは文治五年(一一八九)に聖観音を本尊とした、源頼朝の持仏堂が建…
かつての鎌倉の境界は、一説には北が山ノ内、東は六浦、南が小坪、西は稲村ケ崎といわれています。「吾妻鏡」には四角四境祭という、陰陽道で疫神の災厄を払うための祭祀…
鎌倉ゆかりの人物といえば源頼朝の名が一番に思い浮かびます。多くの歴史と文化を伝える鎌倉ですが、源頼朝が建立した寺社で残っているのは鶴岡八幡宮だけです。そして彼…
治承四年(一一八〇)十月。源頼朝は南関東の武士達を率いて鎌倉に入りました。その当時の鎌倉は寒村にすぎず、源頼朝ははじめに鶴岡八幡宮の遷宮と大倉という場所に自邸…
源頼朝が中世都市鎌倉を開く、ずっとずっと昔、鎌倉は相模国8郡の中の1つ、鎌倉郡の中心として郡衙(郡家)が置かれていました。鎌倉郡衙(郡家)は今の市役所から御成…
鎌倉を象徴する鶴岡八幡宮。その歴史は武家の社会を築いた源頼朝までさかのぼる。治承四年(一一八〇)鎌倉に入った源頼朝は、自らの邸宅を鶴岡八幡宮の東方の大倉という…
どこか懐かしい駅のホーム。山に囲まれた細長い地形。そこに点在する禅宗寺院。歴史と文化の香りが漂う北鎌倉をゆっくりと自然を感じながら歩きます。ここ北鎌倉はかつて…
どこか懐かしい駅のホーム。山に囲まれた細長い地形。そこに点在する禅宗寺院。歴史と文化の香りが漂う北鎌倉をゆっくりと自然を感じながら歩きます。ここ北鎌倉はかつて…
どこか懐かしい駅のホーム。山に囲まれた細長い地形。そこに点在する禅宗寺院。歴史と文化の香りが漂う北鎌倉をゆっくりと自然を感じながら歩きます。ここ北鎌倉はかつて…
対馬→壱岐→博多湾と迫ってきた元軍。「蒙古襲来絵詞」は、上陸した元軍との戦い(赤坂→鳥飼→祖原)を、竹崎季長を主人公として描く。 文永の蒙古合戦激戦地の1つと…
赤坂を西へ向かった竹崎季長。「蒙古襲来絵詞」では,竹崎季長が元軍と鳥飼潟の「塩屋の松」で戦っている様子が描かれている。 その名残が塩屋橋。この辺りで激しい戦い…