幻の大伽藍「鎮護国家大伽藍一区」
中尊寺建立供養願文には、大治元年(1126年)に白河法皇御願の大伽藍が落慶したことが記されています 荘厳な建物に皆金色の丈六釈迦三尊像。2階建ての鐘楼に洪…
中尊寺建立供養願文には、大治元年(1126年)に白河法皇御願の大伽藍が落慶したことが記されています 荘厳な建物に皆金色の丈六釈迦三尊像。2階建ての鐘楼に洪…
光輝く金色堂を護る「覆堂」 天治元年(1124年)に上棟した金色堂は、暫く自然の中で光輝いていましたこのため風雨に晒され続けたので劣化が進みます。こうして建…
小冊子レキシノワ8号では「奥州藤原氏の歴史」を取り上げています。ここでは実際に平泉を訪れた様子を紹介したURLをまとめました。小冊子とともに 「奥州藤原氏の…
平泉から鎌倉へ繋がる二階建ての巨大建築、十体阿弥陀の二階大堂「大長寿院」。 嘉承2年(1107年)関山中尊寺の西谷(にしたに)に二階建ての巨大な阿弥陀堂「大…
衣河の関を越えた奥州藤原氏の初代清衡は、平泉に館を構える一方、平和を願い関山(かんざん)一帯にシンボルともいえる一大伽藍を造営していきます。 世界文化遺産の…
40代半ばに平泉へ進出した清衡は、現在の柳之御所跡に平泉館を構えました。これが奥州藤原氏の政庁となり、4代約100年かけて増築されていきます。 後に頼朝は…
この先に衣河関跡(伝)があります。 衣川と急峻な山に挟まれた、車一台通るのがやっとの難路。対向車が来たらすれ違いできない かつての境界の地(磐井郡と胆沢郡…
奥州藤原氏と平泉を知るキーマンなので、ちょっと長くなります 奥州藤原氏初代清衡は、数奇な運命を辿りました。彼は母から奥六郡の支配者である安倍氏の血を受け継ぎま…
奥州藤原氏初代清衡の願文(がんもん)とユネスコ憲章が重なっている。 奥州藤原氏初代の清衡は、中尊寺建立の「中尊寺供養願文」において、次のように願いを込めて…
日没前に何とか到着 佐竹の名字の地を退き、金砂山に籠もった佐竹秀義。この地はとてつもない要害でした。 実際、ポツンと一軒家に向かうような車一台分の山道。しば…
馬坂城は平安時代末期に、新羅三郎義光の孫である昌義が拠点とした場所です。昌義時は佐竹郷一帯を所領としたので佐竹の名字で呼ばれました。 山城や城郭に詳しくは…
佐竹氏祈願寺の「佐竹寺」と居城「馬坂城址」の間にあります。 苔むした鳥居を潜ると、静けさと陽を遮る木々。やや起伏のある真っ直ぐな道。吸い込まれるように歩くと、…