小笠原氏ゆかりの林城跡(林小城)
続いてmotto yoritomo君と小城を登る。少しサファリパーク感のある動物除けの柵を抜ける。 いきなり地獄の釜という井戸。周辺の沼に立ち入らないようにと…
続いてmotto yoritomo君と小城を登る。少しサファリパーク感のある動物除けの柵を抜ける。 いきなり地獄の釜という井戸。周辺の沼に立ち入らないようにと…
小笠原氏はここのどこかに戦がない時は居住していたとされる。越前朝倉氏の一乗谷館みたいな感じか? 集落にある林山腰遺跡の平場で発掘調査が行われ、礎石建物跡や、中…
戦国期に入ると、小笠原氏は平地にあった井川城(館)から、戦乱の世に対応するため要害の地へ移ることを決める。 その場所は薄川の南岸にある大嵩崎(おおつき)という…
10月の連休中日。明け方に鎌倉を出て、8時に長野県松本に着到。 鎌倉幕府創世記に活躍した甲斐源氏の小笠原長清。彼の子孫は隣国信濃で活躍した。今回は小笠原氏が拠…
鎌倉大仏は、いつ誰が何のために造ったのか?という謎に包まれています。ただ建立にあたっては東大寺の大仏再建という一大事業とつながっています。源頼朝や東国の御家人…
源頼朝と結ばれた伊豆国出身の北条政子は、多くの時間を鎌倉で過ごしました。20代で鎌倉に入り、寿永元年(一一八二)に嫡男頼家を出産。建久三年(一一九二)には実朝…
建久十年(一一九九)正月。源頼朝がなくなりました。そして亡骸は大倉幕府の裏山に葬られました。そこは文治五年(一一八九)に聖観音を本尊とした、源頼朝の持仏堂が建…
かつての鎌倉の境界は、一説には北が山ノ内、東は六浦、南が小坪、西は稲村ケ崎といわれています。「吾妻鏡」には四角四境祭という、陰陽道で疫神の災厄を払うための祭祀…
鎌倉ゆかりの人物といえば源頼朝の名が一番に思い浮かびます。多くの歴史と文化を伝える鎌倉ですが、源頼朝が建立した寺社で残っているのは鶴岡八幡宮だけです。そして彼…
治承四年(一一八〇)十月。源頼朝は南関東の武士達を率いて鎌倉に入りました。その当時の鎌倉は寒村にすぎず、源頼朝ははじめに鶴岡八幡宮の遷宮と大倉という場所に自邸…
源頼朝が中世都市鎌倉を開く、ずっとずっと昔、鎌倉は相模国8郡の中の1つ、鎌倉郡の中心として郡衙(郡家)が置かれていました。鎌倉郡衙(郡家)は今の市役所から御成…
鎌倉を象徴する鶴岡八幡宮。その歴史は武家の社会を築いた源頼朝までさかのぼる。治承四年(一一八〇)鎌倉に入った源頼朝は、自らの邸宅を鶴岡八幡宮の東方の大倉という…