「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」⑥源頼朝の時代とその後

「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」⑥源頼朝の時代とその後

建久十年(一一九九)正月。源頼朝がなくなりました。そして亡骸は大倉幕府の裏山に葬られました。そこは文治五年(一一八九)に聖観音を本尊とした、源頼朝の持仏堂が建てられていた場所です。後に法華堂と改称され、宝治元年(一二四七)に三浦一族が滅亡した宝治合戦では、三浦泰村以下が源頼朝の御影の前で自害しました。

そして頼朝法華堂のあった山の東には、北条義時の法華堂跡や毛利氏の祖先である毛利季光や大江広元、島津氏の祖先である島津忠久の墓所があります。もともとは古墳時代後期に造られた横穴墓だったといわれています。三浦一族のやぐらや、同じ山の裏側の来迎寺も訪れる大倉幕府跡の裏山をめぐる2時間です。