9/23(土)は鎌倉の歴史・文化・観光をレキシノワ的視点で学ぶ🌸「第4回スタディレキシノワ」‼️
今回は小冊子レキシノワvol12でとりあげた源頼朝・木曾義仲・平宗盛による「三つ巴」のヒストリーです。 和やかに鎌倉を楽しむ感じです。先月の「読み書き古文書」…
今回は小冊子レキシノワvol12でとりあげた源頼朝・木曾義仲・平宗盛による「三つ巴」のヒストリーです。 和やかに鎌倉を楽しむ感じです。先月の「読み書き古文書」…
小冊子レキシノワを置いていただいている、主なお店は以下のご飲食店様です。 主な設置の店舗様は、 あら珠/石かわ珈琲/ヴィヴモンディモンシュ/cafe kael…
北鎌倉駅下車すぐ。というより元々、円覚寺さんの境内を、明治二十二年に横須賀線の敷設で門前が分断。東口を Suicaでピッと降りると、運賃を払っているのか入山料…
鎌倉駅から西へ、トンネルを3つ越えると右手にあらわれる草の広場。ここは北条政村(義時5男)の別邸常盤亭跡だとされている。 弘長三年(1263年)。北条時宗の父…
正福寺公園(七里ヶ浜住宅地のつきあたり)にあったとされている。 『吾妻鏡』「建長六年(1254)四月十八日。聖福寺鎮守諸神々殿上棟、(中略)是惣関東長久、別為…
弘長元年(1261)四月二十五日。おととい堀内殿という女性を娶った時宗君(11才)。 この日、極楽寺山荘の北条重時邸で将軍や時頼が臨席する中、笠懸が行われた。…
小冊子レキシノワVol.10の「史跡を見よう!散歩に行こう!」では後白河法皇ゆかりの京都を取り上げています。ここでは実際に京都を訪れた様子を紹介したURLをま…
名執権と称された北条泰時(法名、常楽寺殿)の御墓は、大船の常楽寺にあります。 彼を名執権たらしめたのは、貞永元年(一二三二)に制定した日本における最初の武家法…
今の巨福呂坂は近代に開鑿された道で、 鎌倉時代の巨福呂坂は西側の峠を越えていたという。 鶴岡八幡宮の車払所を真っ直ぐいくのが今の巨福呂坂。車払所を左に折れたの…
明け方の材木座海岸。 かつて由比浦(ゆいのうら)と呼ばれた鎌倉の玄関口。風が強く。波が激しい。 『吾妻鑑』 貞永元年(一二三二)七月十二日条には、 勧進聖人往…
頼朝の御墓がある法華堂跡の麓にあります。 源氏の白旗がなびく。 勝運の神様だという。 まだ勝運は内包されているのだろうか? 思わず社殿ではなく、 山上の御墓に…
西御門にある源頼朝の墓の横にあります。 源希義は頼朝と同じ母を持ちます。平治の乱で父、義朝が敗れると頼朝は伊豆国へ。希義は土佐国介良庄(現在の高知県高知市介良…