「鎌倉権五郎と梶原」
毎月第三日曜日午後に、街歩きのご案内をしているヨークカルチャーセンターさんの「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」今回は「鎌倉権五郎と梶原」♬ この会の参加者さんはほとんど…
毎月第三日曜日午後に、街歩きのご案内をしているヨークカルチャーセンターさんの「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」今回は「鎌倉権五郎と梶原」♬ この会の参加者さんはほとんど…
今回は「パワースポット江ノ島」^ ^ 深沢の五頭龍が江ノ島の天女に恋する伝説。五頭龍の口と天女への道が、向かいあうようなロケーション。その特異な地形が伝説を生…
二年前。かけがえのない時間とつながりの輪を大切にするゲストハウス「亀時間」さんと歴史という時空を超えた学びを目指す「レキシノワ」。過去・現在・未来を貫く、これ…
小冊子レキシノワでは毎号6P-7Pに「史跡を見よう!散歩に行こう!」という、街歩きをより楽しめるコーナーがあります。全編イラストで制作されたMAPと紹介から、…
小さな江ノ電の駅という印象の強い極楽寺。しかしその存在は、遥かに広く、そこにはそびえ立つ一大ワールドがありました。 平家による南都の焼き討ちで灰燼と化した東大…
鎌倉の二階堂には日本庭園史を代表する2つの庭園がある。1つは平安時代末期の浄土庭園といえる「永福寺跡」。もう1つは室町時代に流行った書院庭園のさきがけ「瑞泉寺…
鎌倉大仏は、いつ誰が何のために造ったのか?という謎に包まれています。ただ建立にあたっては東大寺の大仏再建という一大事業とつながっています。源頼朝や東国の御家人…
源頼朝と結ばれた伊豆国出身の北条政子は、多くの時間を鎌倉で過ごしました。20代で鎌倉に入り、寿永元年(一一八二)に嫡男頼家を出産。建久三年(一一九二)には実朝…
建久十年(一一九九)正月。源頼朝がなくなりました。そして亡骸は大倉幕府の裏山に葬られました。そこは文治五年(一一八九)に聖観音を本尊とした、源頼朝の持仏堂が建…
かつての鎌倉の境界は、一説には北が山ノ内、東は六浦、南が小坪、西は稲村ケ崎といわれています。「吾妻鏡」には四角四境祭という、陰陽道で疫神の災厄を払うための祭祀…
鎌倉ゆかりの人物といえば源頼朝の名が一番に思い浮かびます。多くの歴史と文化を伝える鎌倉ですが、源頼朝が建立した寺社で残っているのは鶴岡八幡宮だけです。そして彼…
治承四年(一一八〇)十月。源頼朝は南関東の武士達を率いて鎌倉に入りました。その当時の鎌倉は寒村にすぎず、源頼朝ははじめに鶴岡八幡宮の遷宮と大倉という場所に自邸…