「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」⑤西の境界の外 満福寺と小動神社

「ゆるり鎌倉歴史さんぽ」⑤西の境界の外 満福寺と小動神社

かつての鎌倉の境界は、一説には北が山ノ内、東は六浦、南が小坪、西は稲村ケ崎といわれています。「吾妻鏡」には四角四境祭という、陰陽道で疫神の災厄を払うための祭祀が行われたという記事があります。そして源義経は平家追討を成し遂げた後、鎌倉を目指しましたが、鎌倉の外、腰越に留まるように命令されました。源義経は腰越の満福寺に留まり、有名な「腰越状」という申し開きの書状をしたためたと伝わっています。また腰越には小動神社という鎌倉時代はじめに佐々木四兄弟の一人「佐々木盛綱」が松に魅せられ、名字の地である近江国の八王子宮を勧請したのが創建とされる小動神社があります。

今回はそんな源平の時代に関わる満福寺で源義経の歴史。江ノ島をのぞむ小動神社の岬で、鎌倉の内と外について触れる2時間です。