三浦氏三代の墓がある「清雲寺」(横須賀市大矢部)

三浦氏三代の墓がある「清雲寺」(横須賀市大矢部)

 急峻な丘陵に建つ清雲寺には、いにしえの三浦氏三代の御墓があります。

 いにしえの三代とは治承4年(1180)の衣笠合戦で散った老将三浦義明より前の三代をいにしえと表現してみました。

義明の父、義継。

義継の父、為継。

為継の父、為通。

つまり古い世代から①為通→②為継→③義継→義明となります。

①為通は色々な系図が伝わる三浦氏の中で、だいたい一致する人物です。ただし確かな事はよくわかっていません。

②為継は後三年合戦という平安時代半ばに東北で起こった戦いに源義家とともに参加しました。後三年合戦絵巻には鎌倉伝説の武将、鎌倉権五郎景政の右眼を敵の矢が貫き、為継が抜き取ろうとする場面が描かれています。後に和田合戦の際、「囊祖為継〜」と三浦義村・胤義兄弟が述べているように、一族の祖と一族に思われていました。

③義継は源義朝や相模国の役人等と伊勢神宮の所領であった大庭御厨(藤沢市)に、子の義明と共に侵入しました。この事件は天養記という史料に残っています。

 このようにいにしえの三浦氏三代は、頼朝の祖先である河内源氏と古くから繋がりを持つ一族でした。彼らとウィンウィンの関係を築いた三浦一族は、源頼朝の挙兵をフルサポートし、時代を切り拓いていきます。