清衡のセンス「中尊寺」

清衡のセンス「中尊寺」

2022年8月4日

 衣河の関を越えた奥州藤原氏の初代清衡は、平泉に館を構える一方、平和を願い関山(かんざん)一帯⛰にシンボル🗽ともいえる一大伽藍を造営していきます。

世界文化遺産の中尊寺✨です。

中尊寺✨の位置は、北は青森県の「外ヶ浜」から、南は福島県の「白河の関」の中心にあたります。かつてこの南北を結ぶ道🛣を「奥大道」(おくだいどう)と呼びました。

藤原清衡は「奥大道」の一町ごとに目印として、黄金の阿弥陀像を図絵した笠卒塔婆を建てたといいます。

現在、中尊寺に参詣する道「月見坂」は、「奥大道」の一部でもあります。いにしえの古道を通って金色堂へ向かっているのですねぇ。感慨深い^ ^

 藤原清衡は関山(かんざん)⛰に、まず多宝堂と一基の塔を建てました(長治2年、1105年)。この二仏並座(釈迦像と多宝像)という我が国では珍しい御堂と御塔の間に「奥大道」を通します。今の旧覆堂のあたりから大長寿院の間だといわれています。

奥羽の人々の往還を意識した伽藍造営のスタート。

その道の前に今も眠る金色堂の清衡👨🏻‍🦱

政治をおこなった平泉館からも一直線🛣

稀有な血脈、清衡👨🏻‍🦱のセンスの高さ⤴️が窺えます。

藤原清衡による中尊寺造営

・長治2年(1105年)多宝堂と三重塔一基の完成

・嘉承2年(1107年)阿弥陀堂(二階大堂)落成

・天仁元年(1108年)釈迦堂完成

・天治元年(1124年)金色堂上棟

・大治元年(1126年)鎮護国家大伽藍一区の落慶法要

→ちなみに頼朝が平泉で二階大堂を観て感嘆し、鎌倉に永福寺を建立するのは、建久3年(1192年)のことです。