伊豆箱根の山中を逃げ惑う頼朝!

伊豆箱根の山中を逃げ惑う頼朝!

 治承四年八月二十三日夜、雨の降りしきる中、大庭景親率いる平氏軍の猛攻により、頼朝は敗れ後ろの山に退きました。

 翌二十四日、大庭景親の執拗な追撃により、頼朝方は四散します。

この時、北条時政の嫡子宗時は落ち延びる途中で討たれ、狩野茂光も自害に追い込まれました。二人の墓が伊豆の函南に伝わっています。

頼朝も山中に身を潜めました。湯河原町の土肥の山中には「しとどの窟」と呼ばれる頼朝が身を隠したといわれる洞窟が残っています。

また真鶴にも頼朝が身を隠したといわれる「しとどの窟」があります。

土肥の山中には、頼朝が兜を置いたと伝わる「兜石」。

開運を願った「立石」も伝わっています。

八月二十五日、大庭景親は頼朝を逃さまいと関を固めました。

しかし土肥実平の手引きにより八月二十八日、頼朝は実平の用意した小船に乗り、五日にわたる逃避行の末、海上に逃れることができました。