「藤原清衡(きよひら)」の血脈。
奥州藤原氏と平泉を知るキーマンなので、ちょっと長くなります 奥州藤原氏初代清衡は、数奇な運命を辿りました。彼は母から奥六郡の支配者である安倍氏の血を受け継ぎま…
奥州藤原氏と平泉を知るキーマンなので、ちょっと長くなります 奥州藤原氏初代清衡は、数奇な運命を辿りました。彼は母から奥六郡の支配者である安倍氏の血を受け継ぎま…
奥州藤原氏初代清衡の願文(がんもん)とユネスコ憲章が重なっている。 奥州藤原氏初代の清衡は、中尊寺建立の「中尊寺供養願文」において、次のように願いを込めて…
日没前に何とか到着 佐竹の名字の地を退き、金砂山に籠もった佐竹秀義。この地はとてつもない要害でした。 実際、ポツンと一軒家に向かうような車一台分の山道。しば…
馬坂城は平安時代末期に、新羅三郎義光の孫である昌義が拠点とした場所です。昌義時は佐竹郷一帯を所領としたので佐竹の名字で呼ばれました。 山城や城郭に詳しくは…
佐竹氏祈願寺の「佐竹寺」と居城「馬坂城址」の間にあります。 苔むした鳥居を潜ると、静けさと陽を遮る木々。やや起伏のある真っ直ぐな道。吸い込まれるように歩くと、…
佐竹寺は佐竹氏代々の祈願所。 寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したといわれています。かつては鶴ヶ池(現在地より西北西)の北に位置する観…
源頼朝による佐竹氏征伐。 治承4(1180)年10月富士川の合戦で平維盛を退けた源頼朝は、平氏追討の呼びかけに応じなかった常陸国奥7郡の領主である佐竹氏征伐に…
朱塗りの楼門(水戸初代藩主徳川頼房奉納)をくぐると、早くも拝殿・本殿が右手に(二代将軍徳川秀忠奉納)。 ちなみに奥宮は徳川家康により奉納されたそうで、全て重要…
水上鳥居としては日本最大だそう。 もともとは境内の御手洗池(1日、40万リットル以上の湧水があるという)まで内海だったが、鎌倉時代に土地の隆起によって、今の位…
要石は昔、この地方で頻発する地震を鎮める為、地中に棲みつく大鯰を刺し通したという伝承に由来。 香取神宮が凸。鹿島神宮が凹という。 一ノ鳥居は香取の内海を感じさ…
古来、伊勢の上参宮に対して、下参宮と呼ばれた凄い社。 香取神宮新緑と石燈籠が美しい。 朱の楼門(重要文化財)は元禄十三年(一七〇〇)、江戸幕府によって造営され…
常陸大宮市の佐竹氏史跡を目指し、 香取神宮、鹿島神宮に立ち寄りました。 まずは香取神宮の一ノ鳥居「津宮」。 かつて内海とよばれた景色が気持ち良い。 鳥居も昔は…