レキシノワ 鎌倉史跡散歩

河村城址歴史公園

河村氏は相模国足上郡河村郷を、秀郷流藤原氏の一族、波多野遠義の子、秀高が拝領。「河村さん」と呼ばれたことに始まると考えられています。 秀高の子、義秀は石橋山の…

レキシノワ 鎌倉史跡散歩

房総半島と鎌倉を結ぶ「朝夷奈切通」

 小冊子レキシノワ7号の「史跡を見よう!散歩に行こう!」では、房総半島と鎌倉を結ぶ「朝夷奈切通」を取り上げました。ここでは実際に訪れた様子を周辺も含めリンクし…

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鎌倉と房総半島を結ぶ道ゆかりの「光触寺」

 光触寺は朝夷奈切通の手前、十二所バス停の近くにあります。 古来、この付近は鎌倉と六浦・房総を往来する人々で賑わいました。  光触寺の本堂前にある塩嘗地蔵は、…

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朝比奈熊野神社

朝夷奈切通しから横にそれた山中にあります🌲 熊野といえば🌲 🌲といえば熊野。 金沢文庫文書の金沢貞顕書状には、鎌倉時代末期に熊野から檜皮を取り寄せた文書が残っ…

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鎌倉と房総を結ぶ道 「朝夷奈切通」

鎌倉七口の中で、もっとも古道の雰囲気を今に伝える朝夷奈切通。 六浦口とも呼ばれています。鎌倉から六浦(金沢区)→房総半島。 北条泰時が仁治元年(1240)に道…

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兄、大庭景親に従った~弟、俣野景久~

 横浜市戸塚区俣野に大庭景親の弟、俣野景久ゆかりの俣野観音堂があります。 俣野景久は剛勇を誇り「曽我物語」でも力自慢として登場します。 後に頼朝が房総半島から…

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大庭景親の館跡周辺

 伊豆で挙兵した源頼朝の前に立ちはだかったのが大庭景親です。大庭御厨(藤沢市)の北西、宗賢院という御寺さんの南方の丘陵に彼の館があったと伝わります。  近くに…

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沼間の古刹「神武寺」

 源義朝の沼浜旧宅・鎌倉悪源太義平の供養を由来とする光照寺がある沼間には、もう一つ河内源氏と関わりの深い場所があります。 それが神武寺です。 「吾妻鏡」の建久…

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鎌倉悪源太義平ゆかりの光照寺(逗子市沼間)

 鎌倉悪源太義平は頼朝の異母兄です。母は三浦義明の娘と伝わっていますが、検討を要するようです。 義平は父義朝が上洛した後、鎌倉の館を譲られ、坂東で活躍しました…

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源義朝の沼浜旧宅(逗子市沼間)

かつて三浦一族と大庭御厨に侵攻した頼朝の父、義朝。 「吾妻鏡」の建仁二年二月二十九日条には「故大僕卿(義朝)沼浜御旧宅」とあり、この沼浜が今の沼間にあたります…

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佐原義連ゆかりの満願寺(横須賀市岩戸)

鎌倉幕府草創に活躍した佐原義連を開基とするのが満願寺です。 発掘調査により往時は、今の数十倍の広さを誇る大伽藍であったことがわかりました。 さらに鎌倉の頼朝創…

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三浦十二天

芦名に鎮座する十二所神社はかつて「三浦十二天」と呼ばれました。 十二天とは辞書によると、 一切の天龍・鬼神・星宿・冥官をまとめて、世を護る十二の神をいうようで…