源義朝の沼浜旧宅(逗子市沼間)

源義朝の沼浜旧宅(逗子市沼間)

かつて三浦一族と大庭御厨に侵攻した頼朝の父、義朝。

「吾妻鏡」の建仁二年二月二十九日条には「故大僕卿(義朝)沼浜御旧宅」とあり、この沼浜が今の沼間にあたります。

 義朝は鎌倉にも館を構えており、三浦半島と鎌倉を結ぶ位置「沼間」を中継地点だととらえると、鎌倉―逗子―三浦半島―房総半島という彼の勢力基盤が見えてきます。

 そしてこの図式は後の頼朝へと繋がりました。

 義朝の沼浜旧宅は、JR横須賀線の「東逗子」駅から東へ歩いた法勝寺あたりにあったといわれています。付近を流れる田越川には武士との関係を想起させる「馬場橋」が架かっています。

 上総曹司という名で史料に現れる義朝。古東海道の鎌倉、三浦、房総を駆け巡る姿がかすかに見えてくる感じがしました。