小袋谷厳島神社(鎌倉市小袋谷)
北条氏ゆかりの成福寺に寄ろうとしたら、何やら神社のを発見。 いきなり鎌倉最古の阿弥陀三尊の種子を塔につけた庚申塔。寄って良かったパターン さらに階段を登る…
北条氏ゆかりの成福寺に寄ろうとしたら、何やら神社のを発見。 いきなり鎌倉最古の阿弥陀三尊の種子を塔につけた庚申塔。寄って良かったパターン さらに階段を登る…
頼朝が鎌倉に建立した三大寺社(他に鶴岡八幡宮、勝長寿院)の一つ。 『吾妻鏡』文治五年(一一八九)一二月九日条。「今日永福寺事始也、於奥州、令覧泰衡管領之精舎、…
3代秀衡による極楽浄土の世界。 正面の御堂の四方の扉には、観無量寿経の内容と、秀衡が狩猟をしている姿が描かれていたといいます。観無量寿経とは、浄土往生の方法と…
2代基衡の妻が亡き夫の菩提を弔うために整備。毛越寺の隣にあります。こちらも世界遺産。 観自在とは、迷いの執着から解放された境界にあって、事物のすがたが自由自在…
奥州藤原氏2代基衡 「果福は父をすぎ、両国を管領す」 後に、源頼朝に奥州藤原氏の歴史を語った豊前介実俊は、基衡をこのように評しました。 2代基衡は平泉の街を南…
中尊寺建立供養願文には、大治元年(1126年)に白河法皇御願の大伽藍が落慶したことが記されています 荘厳な建物に皆金色の丈六釈迦三尊像。2階建ての鐘楼に洪…
光輝く金色堂を護る「覆堂」 天治元年(1124年)に上棟した金色堂は、暫く自然の中で光輝いていましたこのため風雨に晒され続けたので劣化が進みます。こうして建…
小冊子レキシノワ8号では「奥州藤原氏の歴史」を取り上げています。ここでは実際に平泉を訪れた様子を紹介したURLをまとめました。小冊子とともに 「奥州藤原氏の…
平泉から鎌倉へ繋がる二階建ての巨大建築、十体阿弥陀の二階大堂「大長寿院」。 嘉承2年(1107年)関山中尊寺の西谷(にしたに)に二階建ての巨大な阿弥陀堂「大…
衣河の関を越えた奥州藤原氏の初代清衡は、平泉に館を構える一方、平和を願い関山(かんざん)一帯にシンボルともいえる一大伽藍を造営していきます。 世界文化遺産の…
40代半ばに平泉へ進出した清衡は、現在の柳之御所跡に平泉館を構えました。これが奥州藤原氏の政庁となり、4代約100年かけて増築されていきます。 後に頼朝は…
この先に衣河関跡(伝)があります。 衣川と急峻な山に挟まれた、車一台通るのがやっとの難路。対向車が来たらすれ違いできない かつての境界の地(磐井郡と胆沢郡…