西金砂神社

西金砂神社

日没前に何とか到着‼️

佐竹の名字の地を退き、金砂山に籠もった佐竹秀義。この地はとてつもない要害⛰でした。

 実際、ポツンと一軒家に向かうような車一台分の山道。しばらく登り続けると開けた場所に出ます。ここに金砂城跡の案内板がありました。向かいには西金砂神社⛩が鎮座しています。

 吾妻鏡によると、金砂城は山の頂⛰に作られ、頼朝軍は麓の渓谷を進むしかありませんでした。このため金砂城から飛んでくる矢石に頼朝方の多くが当たったといいます。対して頼朝方から放つ矢🏹は全く届かず、行く手は岩石🪨が道をふさぎ、人馬は進むことも困難な状態とだったと記されています。

 力攻めを断念した頼朝方は内部工作により佐竹方を切り崩し、金砂城の背後に回る事に成功します。そして攻撃の雄叫びをあげました。この声に驚いた佐竹秀義は金砂城を捨て、奥州花園城へ落ち延びていきます💨

西金砂山の頂上にある神社が西金砂神社⛩です。

 険しい道を登ると岩壁の上に社殿が鎮座しています。頂上からは眼下に山々が幾重も連なっており、吾妻鏡の記録と重なる気がしました。