石橋山の古戦場を歩く

石橋山の古戦場を歩く

 伊豆国で挙兵した源頼朝と北条時政は、味方と頼む三浦半島の大豪族、三浦氏と合流するために東の相模国へと兵を進めました。

 頼朝等の反乱に対して平氏方の大庭景親は、相模国や武蔵国の武士を率いて、西へと向かいます。

 そして両者は相模国西端の石橋において激突しました。

☆石橋山古戦場へのアクセス

 合戦のあった神奈川県小田原市石橋へ向かうには、東京方面からだと、車で西湘バイパス「石橋IC」を降りて南へ少し向かい、右手の細い道を佐奈田霊社へ入った場所にあります。伊豆方面からだと逆に「石橋IC」の手前を左折となりますが、急な角度の旋回になります。

 また道は細く急で曲がりくねっているので運転に注意が必要です。

 電車だとJR東日本の東海道線「早川駅」と「利府駅」の中間にあたり、歩くと相当な時間がかかると思われます。小田原駅からバスで向かう方法もあるようなので、停留所の場所や時刻表など事前に確認しておいてください。

☆石橋山古戦場の石碑

 急峻な道の側に「石橋山古戦場の石碑」が見えてきます。

☆佐奈田霊社

 隣接して、石橋山の合戦で亡くなった佐奈田与一義忠を祀る「佐奈田霊社」が鎮座しています。

☆佐奈田与一義忠とは

 佐奈田与一義忠は、三浦一族の流れを組む岡崎義実の嫡男です。岡崎義実は現在の神奈川県平塚市岡崎あたりを所領とした武将です。佐奈田与一義忠は同市真田を分け与えられ「さなだ殿」と呼ばれたようです。

☆与一塚

 佐奈田与一義忠は、この地で平氏方の長尾定景に討ち取られたといいます。戦いの様子は軍記物語の「平家物語」や「源平盛衰記」に描かれています。後に頼朝は伊豆・三島を参詣する(二所詣)途中に石橋を訪れ、合戦を想い出し、涙を流し、以後の二所詣の参詣ルートを変更するよう定めました「吾妻鏡、建久元年正月十五日条」。

 御神木のたもとには「与一塚」が伝わっています。

☆与一落命の場所

 佐奈田与一義忠が討死したとされる場所「ねじり畑」には案内版が設けられています。

 他にも与一の郎党で、同じく石橋山の合戦で亡くなった陶山文三家康を祀る堂「文三堂」も残っています。