「藤原清衡(きよひら)」の血脈。

「藤原清衡(きよひら)」の血脈。

2022年7月21日

奥州藤原氏と平泉を知るキーマンなので、ちょっと長くなります🙏

奥州藤原氏初代清衡👨🏻‍🦱は、数奇な運命を辿りました。彼は母👩🏻‍🦰から奥六郡の支配者である安倍氏の血を受け継ぎます。そしてその母は敵方の清原氏に再婚し、清原清衡として育ちました(父は7歳の時に合戦で処罰された)。

奥羽の大乱(前九年合戦と後三年合戦)で滅びた安倍・清原の両者を継承し、河内源氏を東北から退かせた清衡。平泉に仏国土という理想を築く願いは、こうした境遇にあったと思われます。

並木屋敷(伝)🏡は清衡の母、安倍氏が政庁を構えた場所だとされ、清原氏に受け継がれたといいます(あくまで伝承)。ここは平泉の対岸、衣川の地(奥州市)にあります(義経最後の地、衣河館の候補地という説もありますが、こちらは機会を改めて、、、)。

清衡が衣川を越え、平泉に政庁を移すのは、40代も半ばに差し掛かった時期でした。この後、清原→藤原(実の父の苗字)に改姓します。そして73歳で亡くなるまで、平泉に仏国土という理想郷を創るため、関山(かんざん)中尊寺一帯に大伽藍を築いていきました。

清衡によって奥州藤原氏の百年(11C〜12C)=「平泉の世紀」という扉が開かれていきます。