レキシノワの4号のコラムで、北条氏の家紋は、江ノ島の龍神から賜わった「三つ鱗」が由来となっていることを「太平記」の記事から紹介しました。
そこで今回と次回の二回にわけて、実際に江ノ島を訪れ、どれぐらい龍神と三つ鱗を体感できるか?探ってみたいと思います。
〇アクセス
江ノ島は電車だと、➀小田急「片瀬江ノ島」駅(徒歩18分)、②江ノ電「江ノ島」駅(徒歩21分)、③湘南モノレール「湘南江ノ島」(徒歩23分)という3パターンのアクセス方法があります。いずれも徒歩で「江の島弁天橋」を通って江ノ島へ渡ります。
〇鎌倉時代に渡れるようになった「江ノ島」
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」の建保四年(1216)正月十五日に、
「晴、相摸國江嶋明神有託宣、大海忽變道路、仍參詣之人無舟船之煩、始自鎌倉、國中緇素上下成群、誠以末代希有神變也、三浦左衛門尉義村爲御使、向其靈地令歸參、嚴重之由申之」という記事があります。
建保四年一月一五日、江ノ島は海の水が引いて陸続きとなり、舟を手配せずに参詣できるようになったといいます。そして鎌倉からの人々をはじめ、国中の者が群れをなして訪れました。その事が事実かどうか、三浦義村が将軍実朝の使いとして江ノ島へ向かい、確かだと伝えたといいます。
これは江ノ島と片瀬の間の海底が、なんらかの自然現象で隆起したと考えられます。
〇たくさんの「三つ鱗」
島に入り「青銅の鳥居」を抜けると、両脇にたくさんのお店が並んでいます。付近をよく見ると建造物に「三つ鱗」があしらわれているのが確認できます。このような「三つ鱗」を島内には至る所で目にすることができるので、形などを見比べて楽しんでみましょう!!
〇「江ノ島の三つ鱗ヒストリー」
室町時代に成立した軍記物語「太平記」(第5巻)に、北条氏の家紋「三つ鱗」に関わる北条時政の伝説が語られています。
鎌倉幕府草創の初め、北条時政は子孫の繁栄を願い榎嶋(江ノ島)に参篭しました。満願にあたる日の夜、目の前に弁財天が現れ、「汝は前生に箱根法師にてありし時、六十六部の法華経を書いて、六十六箇国の霊地に奉納したる善根によって、再びこの国に生まるる事を得たり。されば子孫永く日本の主となつて、栄花に誇るべし。但しその振る舞ひ、もし違ふ所あらば、七代を過ぐべからず。わが云ふ所不審あらば、国々に収めし所の霊地を見よ」と述べ、大蛇(龍)となり海中に帰っていきました。大蛇(龍)の去った跡には、大きな三つの鱗が落ちており、時政は所願が成就したと喜び、この鱗を北条氏の家紋としました。以降、三つ鱗は北条氏のシンボルとなり、北条一族は繁栄していきます。
このように確かに三つ鱗の発祥が江ノ島だということを感じられます。さて前編はここまでにして、次回は龍神を追って江ノ島を紹介したいと思います。