平氏の京都における拠点〜六波羅〜 

平氏の京都における拠点〜六波羅〜 

2022年1月6日

 六波羅は平安京の東を流れる鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯をいいます。

 もともとは天暦5年(951)に醍醐天皇第二皇子光勝空也上人が西光寺を創建→後に中信が同寺を六波羅蜜寺と改名したことから、一帯が「六波羅」と呼ばれるようになりました。

 平氏と六波羅の関わりは、平清盛の祖父正盛の時代まで遡ります。平正盛は一族の供養堂を六波羅に建立しました。そして子の忠盛が館を構え、次第に伊勢平氏(平氏といっても色々な系譜があるので、清盛の家系はこのように呼ばれている)の京都における拠点としての性格を帯びていきます。

 六波羅の南には後白河法皇が法住寺殿を建立し、平清盛の時代には池殿邸や小松殿・宗盛邸など、その数5200余りに及ぶとされる平氏一門の邸宅が軒を連ねました。

 

 今、六波羅を訪れると至る所でその名残を見つける事ができます。まず小松谷は平清盛の嫡男重盛(小松殿と呼ばれた)が邸宅を構えた場所で、現在は小松谷正林寺と付近の地名からかつての栄華を偲ぶことができます。「しげもり」というラーメン屋さんもありました。

 次に池殿邸があったとされる付近には、池殿一番路地や池殿二番路地という標識が、、、なんかゆるくもあり歴史もある所が京都の魅力かもしれません。。。

 そして六波羅蜜寺には平清盛像が安置されています。近くには六波羅飯店やハッピー六原という商店街があり、ここに平氏一門が繁栄を極めていたのか〜と思うと感慨深いものがあります。

 

 こうして栄えた六波羅ですが、寿永2年(1183)の平氏都落ちで、すべて焼き払われてしまいました。