40代半ばに平泉へ進出した清衡は、現在の柳之御所跡に平泉館を構えました。これが奥州藤原氏の政庁となり、4代約100年かけて増築されていきます。
後に頼朝は3代藤原秀衡を「奥の御館」(おくのみたち)と呼びました。館(たち)は政庁。御館(みたち)はその尊称です。地方では本来、国守に対する呼び名でした。
今、一帯は発掘調査が進み、整備保存されています。隣接するのが「平泉世界遺産ガイダンスセンター」。
「平泉世界遺産ガイダンスセンター」では最新の研究に基づいた奥州藤原氏の歴史・文化と、世界遺産平泉の軌跡および展望を、映像・展示物・模型などを通してわかりやすく解説しています。
個人的には史跡めぐり前に訪れると良いように思います。オススメ度です。
道の駅も近くにあり、平泉の食やお土産も楽しめますよ。