大庭景親の館跡周辺
伊豆で挙兵した源頼朝の前に立ちはだかったのが大庭景親です。大庭御厨(藤沢市)の北西、宗賢院という御寺さんの南方の丘陵に彼の館があったと伝わります。 近くに…
伊豆で挙兵した源頼朝の前に立ちはだかったのが大庭景親です。大庭御厨(藤沢市)の北西、宗賢院という御寺さんの南方の丘陵に彼の館があったと伝わります。 近くに…
源義朝の沼浜旧宅・鎌倉悪源太義平の供養を由来とする光照寺がある沼間には、もう一つ河内源氏と関わりの深い場所があります。 それが神武寺です。 「吾妻鏡」の建久…
鎌倉悪源太義平は頼朝の異母兄です。母は三浦義明の娘と伝わっていますが、検討を要するようです。 義平は父義朝が上洛した後、鎌倉の館を譲られ、坂東で活躍しました…
かつて三浦一族と大庭御厨に侵攻した頼朝の父、義朝。 「吾妻鏡」の建仁二年二月二十九日条には「故大僕卿(義朝)沼浜御旧宅」とあり、この沼浜が今の沼間にあたります…
鎌倉幕府草創に活躍した佐原義連を開基とするのが満願寺です。 発掘調査により往時は、今の数十倍の広さを誇る大伽藍であったことがわかりました。 さらに鎌倉の頼朝創…
芦名に鎮座する十二所神社はかつて「三浦十二天」と呼ばれました。 十二天とは辞書によると、 一切の天龍・鬼神・星宿・冥官をまとめて、世を護る十二の神をいうようで…
三浦義明の末子である義連は、三浦半島の佐原を与えられ、佐原氏と呼ばれました。 佐原の御霊神社には鎌倉権五郎景政と共に佐原義連の木像が鎮座しています。 佐原義連…
老将三浦義明ゆかりの満昌寺近くに、 三浦本家を継いだ三浦荒次郎義澄の御墓が伝わっています。 義澄は義明の次男として生まれましたが、 兄杉本義宗の戦死により、…
平氏方の猛攻により衣笠で没した三浦一族の惣領三浦義明。 彼の廟所が満昌寺にあります。 満昌寺は三浦義明を開基として、彼を偲んだ頼朝によって創建されたと伝わりま…
急峻な丘陵に建つ清雲寺には、いにしえの三浦氏三代の御墓があります。 いにしえの三代とは治承4年(1180)の衣笠合戦で散った老将三浦義明より前の三代をいに…
レキシノワ6号では三浦半島と三浦一族を特集しています。三浦半島は相模中西部と房総半島の間に位置し、両方を結ぶ交通・経済・社会の結節点でした。横須賀市公郷町付…
治承四年八月二十三日夜、雨の降りしきる中、大庭景親率いる平氏軍の猛攻により、頼朝は敗れ後ろの山に退きました。 翌二十四日、大庭景親の執拗な追撃により、頼朝…