史料講座 第8回.安房国安西三郎景益の参陣
前回の史料講座では、安房国に落ち延びた頼朝が幼い頃に親しく接していた安西景益に参上するように命令を下した箇所を解説した。今回はその続きを読みながら、頻出する…
前回の史料講座では、安房国に落ち延びた頼朝が幼い頃に親しく接していた安西景益に参上するように命令を下した箇所を解説した。今回はその続きを読みながら、頻出する…
古文書や古記録は当事者間のやりとりや記録が目的のため、誰がどうした?誰に何をした?誰の話?という主語の省略されているケースがよくある。だから文章を読んでいて…
今回は石橋山の合戦について、実際に現地を歩き読み解いてみる。 最初に石橋山の合戦について少し述べておく。伊豆国で山木兼隆を討った頼朝は、挙兵に呼応した三浦…
頼朝は山木兼隆を討った翌々日、兼隆の親戚史大夫知親が横暴な振る舞いをしていた伊豆国蒲屋御厨に、民が嘆いているので止めるよう命令を下す。この命令書を「下文」と…
前回は、頼朝挙兵の第一矢の場面を取り上げ、助詞について解説を加えてみた。 今回は山木兼隆を討つ場面を古記録において「レ点」が付くよく使われる字について述べて…
古記録を吾妻鏡から読む。1回目が返り点について・2回目が読解だったので、第3回目の今回は助詞を補う点について解説を加えてみる。 読む箇所は頼朝挙兵の場面をとり…
今回は「吾妻鏡」の本文の冒頭を読解してみたい。 『吾妻鏡』治承四年(一一八〇)四月九日条 「四月小九日辛卯。入道源三位頼政卿可レ討二滅平相国禅門清盛一由。日者…
いくつも翻刻された史料があるのに、なぜ「吾妻鏡」なのか? 「吾妻鏡」以外の多くの史料は、登場人物になじみがなく、時代背景の推移をイメージするのが難しいものが…
源頼朝が鎌倉を目指したわけを鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」より探ってみる。 本サイトのタイトル(歴史史料を読み解く)にあるように歴史史料から歴史を学ぶというのが…
日本有数の観光都市鎌倉の歴史は、 治承四年(一一八〇)十月の源頼朝の鎌倉入りに始まったといっても過言ではない。 頼朝は大倉に自邸(今の清泉小学校の位置)を構え…