江ノ島の三つ鱗ヒストリー!!(後編)

江ノ島の三つ鱗ヒストリー!!(後編)

レキシノワの4号のコラムで、北条氏の家紋は、江ノ島の龍神から賜わった「三つ鱗」が由来となっていることを「太平記」の記事から紹介しました。

さて今回は後編です。実際に江ノ島を訪れ、どれぐらい龍神を体感できるか?を探ってみたいと思います。

江ノ島神社は、辺津宮・中津宮・奥津宮の3つの宮を総称して「江ノ島神社」と呼びます。

〇辺津宮

 瑞心門を抜けると、最初に「辺津宮」が姿を現します。この辺津宮は建永元年(1206)に鎌倉幕府三代将軍の源実朝が創建したと伝えられています。現在の社殿は延宝三年(1675)に再建の後、昭和五十一年(1976)の大改修によって新築されました。屋根には江ノ島神社の「向かい波三つ鱗」が見られます。辺津宮は別名「下之宮」とも呼ばれています。

〇宋国伝来の古碑!!

 辺津宮の横にある八坂神社の横に、宋国から伝来したという石碑が残っています。石碑は摩耗が激しく、文字などは読み取れませんが、端の方にかすかに線画が確認できます。この石碑は、将軍実朝の命を受けて、元久元年(1204)に宋へ渡った良真という僧侶が、宋国の慶仁禅師から授かり、今に伝わります。周囲は江戸時代に石碑を保護するために囲いで覆い、これ以上の風化をとどめました。

〇中津宮

 中津宮は平安時代の仁寿三年(853)、慈覚大師(円仁)が創建したと伝わります。大師は下野国(栃木県)に生まれ、比叡山延暦寺で修行の後、中国にわたり五台山を巡礼するなど唐の仏教を学びました。慈覚大師の九年六カ月に及ぶ求法の旅は「入唐求法巡礼行記」に纏められ、当時の貴重な情報を今に伝えています。この記録は日本人による最初の本格的な旅行記でもあります。その慈覚大師によって建てられたと伝わる中津宮は元禄二年(1689)に再建され、平成八年(1996)に大改修されました。拝殿の格天井に描かれている花鳥図や、境内には江戸時代に歌舞伎役者などによって寄進された石灯篭・梅・桜が残っています。

〇伝源頼朝寄進の鳥居

 奥津宮の手前にある鳥居は、源頼朝によって寄進された鳥居だと伝わります。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」の養和二年(1182)条には次のように書かれています。

「養和二年(1182)四月小五日乙巳、武衛令出腰越邊江嶋給、足利冠者・北條殿・新田冠者・畠山次郎・下河邊庄司・同四郎・結城七郎・上総權介・足立右馬允・土肥次郎・宇佐美平次・佐々木太郎・同三郎・和田小太郎・三浦十郎・佐野太郎等候御共、是高雄文學上人、爲祈武衛御願、奉勸請大辨才天於此嶋、始行供養法之間、故以令監臨給、密議、此事爲調伏鎭守府將軍藤原秀衡也云々、今日即被立鳥居、其後令還給、~後略~」

 少し長いので短訳すると、「源頼朝は御家人達を率いて江ノ島へ向かいました。これは文学上人が頼朝の願いを祈祷するために大弁才天を勧請し供養法を始めたからです。そして密かに奥州藤原氏の秀衡を調伏しました。すぐに鳥居が建てられ頼朝は帰還しました。」

 現在の鳥居は平成十六年(2004)の台風で破損し、補修が加えられたものですが、頼朝寄進の鳥居も現在に似たものだといわれています。

〇奥津宮

 奥津宮には多紀理比賣命を祀っています。多紀理比賣命は三姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様だとされています。江ノ島の龍神伝説発祥の地である岩屋に一番近い奥津宮は「本宮(御旅所)」と称され、岩屋本宮に海水が入り込む四月から十月の期間は、岩屋の本尊がここに遷座したといわれています。

 社殿は天保十二年(1841)に焼失し、翌十三年に再建され、昭和五十四年(1979)に御屋根が修復されました。さらに本殿は平成二十三年(2011)に改修されました。

〇八方睨みの亀

 奥津宮拝殿の天井には江戸時代の絵師酒井抱一による「八方睨みの亀」が描かれています。ただし本物は海風による風化から守るため宝殿におさめられ、片岡華陽画伯の復元画を掲げています。

〇稚児ヶ淵

 稚児ヶ淵は、鶴岡八幡宮寺の供僧をつとめた相承院の稚児白菊が、この淵に投身したことを由来としています。夕日が特に有名で「かながわの景勝50選」に指定されています。

〇江ノ島の岩屋

 岩屋は、波の浸食によって長い年月を経てできたと考えられ、第一岩屋(奥行152m)と第二岩屋(奥行56m)から成ります。洞内に入ると与謝野晶子が江ノ島を詠んだ碑が水面に反映しています。「沖つ風 吹けばまたたく蝋の灯に 志づく散るなり 江の島の洞」。

 第一岩屋の奥は、富士山の麓にある人穴に通じているといわれ、かつて二代将軍源頼家の命令で富士の人穴に入った仁田忠常が奥へ進むと、江ノ島の岩屋に到達したという伝承が残っています。

 そして左右に石像が立ち並ぶ洞の一番奥には、江ノ島神社発祥の神が祀られています。

 第二岩屋は妖艶な光を放つ龍神が置かれています。

 以上、江ノ島はまさに龍神の住む島で、その伝承は鎌倉幕府創成期と深く結びつく場所でした。そして江ノ島と北条氏は密接な関係を築き「三つ鱗」を家紋とします。九代執権北条貞時は、円覚寺の洪鐘の横に江ノ島から弁才天を勧請(弁天堂)するなど、そのつながりは北条氏の滅亡まで続きました。まさに北条氏の繁栄は「江ノ島の三つ鱗ヒストリー」が支えていたといえます。