この岬にはかつて、「こゆるぎの松」という風が吹かなくても揺れる美しい松がありましたそこから小動という岬の名になったといいます。
神社の創建は、文治年間に江ノ島を訪れた佐々木四兄弟の一人「佐々木盛綱」がこの松に魅せられ、名字の地である近江国の八王子宮を勧請したのが始まりらしい
後に鎌倉幕府を攻め滅ぼした「新田義貞」は、鎌倉に攻め入る際、戦勝祈願に参拝。見事、戦いに勝ったので、荒廃していた社殿を再興したといいます。

境内には幕末に築かれた海防のための「台場跡」の案内板も残っています。小動岬はちょうど小高い山が海に飛び出た形になっており、防衛に適していました。砲台跡は現在、人家の敷地内だといいます。
