鎌倉の二階堂には日本庭園史を代表する2つの庭園がある。1つは平安時代末期の浄土庭園といえる「永福寺跡」。もう1つは室町時代に流行った書院庭園のさきがけ「瑞泉寺庭園」である。今回は「庭園」をキーワードに2つの史跡を散策していく。
日本の庭園の歴史で一貫しているのは、石・水・植物などを用いて、大地の上に自然の風景を作り出している点。これを「自然風景式庭園」と呼んでいる。
永福寺は室町時代に廃寺となった。そのため建物は無い。イメージがわくように発掘調査で出土した品々をアップ。
まずは瓦。鎌倉時代の訪問者が、陽に照らされ心を動かされた紀行文が残る。それらが出土→保存されている素晴らしさ。当時、最高峰の技術がココに詰まっていた。
黄金文化平泉との共通性。黒漆地の螺鈿細工。平安時代後期の文化を伝える平泉の中尊寺。堂内には螺鈿をふんだんに使った煌びやかな世界が広がっている。永福寺跡から出土した品々からは、その技術を継承した様子が垣間見える。
平成8年(1996)の発掘調査で、史跡永福寺跡の向かいの山(経塚)から銅製経筒が見つかった。遺物の制作年代(12C末から13C初)から、埋めたのが将軍家に近しい人だったと推測されている。