衣河関跡(ころもがわのせきあと)

衣河関跡(ころもがわのせきあと)

2022年7月25日

 この先に衣河関跡(伝)があります。

衣川と急峻な山に挟まれた、車一台通るのがやっとの難路。対向車が来たらすれ違いできない😱

 かつての境界の地(磐井郡と胆沢郡)。都から下った藤原基成(3代秀衡の妻の父。前鎮守府将軍・陸奥守)は衣河に館を構え、義経を保護したという(対岸の並木屋敷が候補地。昨日投稿。さて本当は何処だったのでしょう?)。

〈義経最後の場面〉

「吾妻鏡」文治五年(1189)閏四月三十日条。

「今日、陸奥国において、藤原泰衡が豫州(義経)を襲う。これは勅定と二品(頼朝)の仰せによる。与州(義経)は民部少輔基成朝臣の衣河舘にあり。泰衡は数百騎を従え衣河館に向かい合戦におよんだ。与州(義経)の家人等(弁慶を含む)相防ぐといえども、次々と討たれた。豫州(義経)は持佛堂に入り、まず妻〔廿二歳〕と子〔女子四歳〕を殺害、最後に自殺したという😭