~三浦半島の史跡(治承四年八月の三浦一族の戦い)をめぐる③~

~三浦半島の史跡(治承四年八月の三浦一族の戦い)をめぐる③~

 老将最後の地、「衣笠城址」。迫る平氏方を、先祖ゆかりの衣笠で迎え撃つことを決めた老将三浦義明ですが、新手を加えた平氏勢の猛攻を前に、一族へ上総・安房へ落ち延びるよう命令しました。

 この時、義明は老齢で衣笠に留まると述べます。吾妻鏡は心境を「我、貴種(頼朝)再興の時に逢い」と述べ、カッコ良く城を枕に討死する姿を描いています。延慶本平家物語は、城に留まろうとする義明を、郎党が無理矢理、輿に乗せて担ぎ出しました。しかし畠山勢の追撃に義明の乗った輿を置いて逃げ、義明は無念の最期を遂げます。今、その場所と伝えられる地は腹切松公園という名の公園になっています。

 衣笠城址には義明を顕彰する八〇〇年記念碑や御霊神社、麓には三浦氏ゆかりの大善寺や旗立山・物見坂・武者返しの地形など当時を感じられる風景が残っています。この地で果てた三浦義明ですが、彼の死は後に三浦一族によって神格化されていきました。