春日大社国宝殿所蔵「赤糸威大鎧(竹虎雀)」について

春日大社国宝殿所蔵「赤糸威大鎧(竹虎雀)」について

 前回は、レキシノワ二号の表紙「赤糸威大鎧(竹虎雀)」所蔵の春日大社を簡単に紹介しました。今回は「赤糸威大鎧(竹虎雀)」について少し触れておきます。

「赤糸威大鎧(竹虎雀)」は「平安の正倉院」と称される春日大社の宝物を代表する国宝の一つです。鎌倉時代に制作されたといわれ、豪華絢爛な装飾は、端午の節句の飾り兜のモデルとなっています。まさに日本一有名な大鎧といえます。

 見どころは、大きな金色の大鍬形と大袖の「竹に虎」の装飾です。

本号の特集「武士の世って何だろう」という問いに対する、答えを示すイメージにぴったりな鎧といえます。

 皇室や摂関家に篤く崇敬された春日大社は武家の崇拝も篤く、皇室・摂関家・武家は全く別の存在というわけではありませんでした。武家もさかのぼれば天皇につながり、貴族でもありました。武士は公家と対立する存在や、国家を武力一辺倒で克服していくわけではありません。まして殺人だけを生業としていた集団でもありません。

 ともに社会を作り上げていき、時に齟齬が生じたのです。これは武士だけではなく、天皇家と貴族、貴族と寺社の間でも起こっていたことです。彼らも時に暗殺や処罰をおこなっています。ことさら武士だけが、武力行使をおこなっていたわけではないのです。そうでないと社会の理解を得られるわけはありません。

 武士も民からの税収と奉仕で、生きていくことができたということぐらいは、理解しています。武士と民といいますが、ともに同じ自然界で人間として生活しています。武士も民の一部ともいえるでしょう。武士は、徴税をおこなう役人であり、反抗する者に対して武力で制裁を加える存在でもあり、納税する役割も負っていました。さらに土木建築や寺社建立などもおこない、地域社会の形成にも影響を与えました。つまり一口に武士といいますが、多様な活動をおこなっていたのです。

 こうした事をひっくるめた象徴として、「大鎧」は戦いだけではない武具の役割という視点から、日本社会の複雑かつ味わい深い何かを伝えてくれています。

 「赤糸威大鎧(竹虎雀)」は、春日大社国宝殿の特別展で展示される場合もあるので、サイトなどでチェックして機会があれば是非直接、鑑賞してみてください。