山木兼隆ゆかりの地

山木兼隆ゆかりの地

 小冊子レキシノワ四号の「古記録を読む」では、源頼朝と北条時政が旗を挙げた「山木攻め」を取り上げました。今回は攻められた山木兼隆ゆかりの地をレポートします。

〇山木を拠点とした山木兼隆

 山木兼隆は伊勢平氏の庶流平信兼の子として生まれました。京都の警備を司る検非違使少尉に任ぜられ、平時忠の元で活躍したといわれています。

 しかしどのような理由かはわかりませんが、治承三年(一一七九)一月に父、信兼によって訴えられ、伊豆国山木へ追放されました(『山槐記』治承三年正月一九日条)。

 翌年、京都で平氏追討の計画を立てた以仁王の乱が勃発すると、伊豆国の知行国主は以仁王に加担した源頼政から平時忠に変わりました。そして兼隆は赦され、伊豆国の目代に任命されます。

〇平氏方の急先鋒とみられた山木兼隆

 こうした経緯から山木兼隆は平氏方の急先鋒とみられ、源頼朝と北条時政らの旗揚げ最初の標的となりました。

 ・山木兼隆の館跡と伝わる高台一帯

 ・山木兼隆の御墓が伝わる「香山寺」

 ・山木兼隆を祭神として祀る「皇大神社」