小笠原氏の館跡と城跡(信濃国)

小笠原氏の館跡と城跡(信濃国)

10月の連休中日。明け方に鎌倉を出て、8時に長野県松本に着到。

鎌倉幕府創世記に活躍した甲斐源氏の小笠原長清。彼の子孫は隣国信濃で活躍した。今回は小笠原氏が拠点を構えた2つの城跡(井川城跡、林城跡)をめぐり、キャンプサイトに陣を構える。

松本平を本拠地とした小笠原氏。初めは平地の井川城で領国経営を進めたが、戦国の抗争によって、要害の山城である林城へ移った。

2つの城跡は保存状態が良好で、室町時代から戦国時代に至る領主の居城の在り方を具体的に知ることができるという。

まずは小笠原氏の館跡推定地とされる井川城跡(松本市井川城1丁目)から。井川城跡は薄川と田川の合流点付近に位置する。城跡からは川を取り込んだ堀状と、南東隅に櫓台跡だと伝わる小高い塚がある。

発掘調査では、南北100メートル、幅70メートルの盛り土による造成区画が見つかった。中からは建物の礎石や柱穴。さらに青磁や白磁など中国産の陶磁器や茶道具が発掘されている。そして周囲のサイカチの花粉から防御のために植えられていた可能性が指摘されている。これらの状況から信濃守護の小笠原氏にふさわしい居館跡が明らかとなっている。

また文献史料の初出は応仁元年(一四六七)鈴岡小笠原氏の政秀が乱入した際の「井河堀」。江戸時代の記録には、地形は少し高く、東に虎口、城内は畑となり、四方は沼地とある。明治時代の「小島村絵図」はこの記録と類似。さらに現在も宅地化は進むが、地形は変わっていないのが、上空からの画像で確認できる。周辺を歩いてみたが頭無川の流路がかつての名残りを想わせる。

井川城を拠点とした小笠原氏。戦国の騒乱とともに山城である林城へ移り、武田信玄と対峙する。