河村氏は相模国足上郡河村郷を、秀郷流藤原氏の一族、波多野遠義の子、秀高が拝領。「河村さん」と呼ばれたことに始まると考えられています。
秀高の子、義秀は石橋山の合戦で、平氏に味方したため、頼朝による房総半島からの世紀の大逆転で捕らえられ、領地を没収されてしまいました。
大庭景義(景親の兄)によって匿われていた義秀は、建久元年(一一九〇)鎌倉で源頼朝に流鏑馬の妙技を披露し、武芸に堪能な者として赦免されます。そして本領河村郷を安堵されました。
現在の河村城址は、戦国時代に小田原北条氏が甲斐の武田氏に備え、出城として整備しました。
山北町によって歴史公園として史跡整備が進んでいる河村城址は、障子堀が復原され、木橋や展望台が設けられ、見所たっぷりな城址になっています。
足柄平野と相模湾が一望できる標高約225mからの風景は、山城の魅力が詰まった場所でした。