レキシノワ6号では三浦半島と三浦一族を特集しています。三浦半島は相模中西部と房総半島の間に位置し、両方を結ぶ交通・経済・社会の結節点でした。横須賀市公郷町付近の発掘調査では古代の遺物が見つかっています。そこで今、曹源寺が建つ辺りをレポートしていきます。
御寺の案内板を見ると古くは宗元寺と号した。前身は奈良時代から平安時代初期に建てられたといわれ、往時は金堂・三重の塔・講堂などを備える一大寺院だったといいます。
かつてあった南大門の前を、衣笠栄町から大津方向へ延びる「古東海道」が通り、付近からは郡衙を想起させる遺跡が発掘されました。
「古東海道」は走水から房総半島に渡るルートと、古久里浜湾から渡るルートが提起されています。海の道は一つに絞ることは難しいと感じます。なぜなら海の道は潮流を利用するので、上りやすいルートは下りにくく、下りやすい所は上りにくいからです。また季節や時間帯により絶えず潮の流れは変動していた事も考えられます。地図で見る距離と違う遠近が存在したのではないでしょうか。
曹源寺の付近には公郷神社と久里浜湾へと続く平作川があります。公郷は走水と久里浜湾に向かう水陸の分岐点に位置しました。
曹源寺の墓域に立つと眼下に360度に近い景色が広がります。この下を古代の人々が往来していた。下から見上げる一大寺院は遥か遠くから目印となるランドマークだったと思われます。