2023年レキシノワ振り返り 小冊子② 史跡を見よう!散歩に行こう!編
小冊子レキシノワでは毎号6P-7Pに「史跡を見よう!散歩に行こう!」という、街歩きをより楽しめるコーナーがあります。全編イラストで制作されたMAPと紹介から、…
小冊子レキシノワでは毎号6P-7Pに「史跡を見よう!散歩に行こう!」という、街歩きをより楽しめるコーナーがあります。全編イラストで制作されたMAPと紹介から、…
2023年は養和元年(一一八一)から寿永二年(一一八三)の歴史を4分割。 ①まずは後白河の復活が意味するものとは?をテーマにvol.10を制作。完成後の講座で…
レキシノワvol.13を刊行致しました。 小冊子レキシノワを置いていただいている、主なお店は以下のご飲食店様です。 主な設置の店舗様は、 あら珠/石かわ珈琲…
11月18日(土)10:00→12:00 11月のレキシノワの講座は、鎌倉の山や寺院の裏で目にする「やぐら」。丘陵山腹を穿って造られたやぐらはハイキングや…
11/4 (土)11:00→12:00。「好きな武将を語ろう」 レキシノワのイベントには、大人向けの講座にも関わらず、ご参加してくださる歴史好きな小学生さんが…
鎌倉大仏は、いつ誰が何のために造ったのか?という謎に包まれています。ただ建立にあたっては東大寺の大仏再建という一大事業とつながっています。源頼朝や東国の御家人…
源頼朝と結ばれた伊豆国出身の北条政子は、多くの時間を鎌倉で過ごしました。20代で鎌倉に入り、寿永元年(一一八二)に嫡男頼家を出産。建久三年(一一九二)には実朝…
建久十年(一一九九)正月。源頼朝がなくなりました。そして亡骸は大倉幕府の裏山に葬られました。そこは文治五年(一一八九)に聖観音を本尊とした、源頼朝の持仏堂が建…
かつての鎌倉の境界は、一説には北が山ノ内、東は六浦、南が小坪、西は稲村ケ崎といわれています。「吾妻鏡」には四角四境祭という、陰陽道で疫神の災厄を払うための祭祀…
– gokurakuji world–10.22(日) かつて蒙古VS鎌倉幕府という時代があった。 博多沿岸では御家人たちが戦い、朝廷や幕府は敵国降伏の祈祷を…
鎌倉ゆかりの人物といえば源頼朝の名が一番に思い浮かびます。多くの歴史と文化を伝える鎌倉ですが、源頼朝が建立した寺社で残っているのは鶴岡八幡宮だけです。そして彼…
治承四年(一一八〇)十月。源頼朝は南関東の武士達を率いて鎌倉に入りました。その当時の鎌倉は寒村にすぎず、源頼朝ははじめに鶴岡八幡宮の遷宮と大倉という場所に自邸…