六地蔵(称名寺)
六地蔵(称名寺)鎌倉郡今泉村の風景。 (鎌倉郡今泉村は明治時代までの村名) 衆生の苦悩を救済するという六種の地蔵菩薩が出迎える入口。 観光客で賑わう鎌倉のイメ…
六地蔵(称名寺)鎌倉郡今泉村の風景。 (鎌倉郡今泉村は明治時代までの村名) 衆生の苦悩を救済するという六種の地蔵菩薩が出迎える入口。 観光客で賑わう鎌倉のイメ…
鎌倉郡今泉村の風景。 (鎌倉郡今泉村は明治時代までの村名) 山澗の地 山間を切り拓き畑としてきた。 今も江戸時代と変わらない風景がある。 観光客で賑わう鎌倉の…
小冊子レキシノワVol.10の「史跡を見よう!散歩に行こう!」では後白河法皇ゆかりの京都を取り上げています。ここでは実際に京都を訪れた様子を紹介したURLをま…
鎌倉郡今泉村の風景。 (鎌倉郡今泉村は明治時代までの村名) 白山神社(かつての村の中心にある)。 毘沙門天が祀られているので毘沙門堂と呼ばれていた。 伝承では…
逗子市と葉山町の境界線上にある。 現存する遺構としては、神奈川県内最大級の前方後円墳(2基)という触書きに惹かれて向かう(最大とか最高に弱い)^ ^ ハイキン…
長柄桜山古墳群の麓には平清盛の嫡男重盛の孫、六代の御墓がある(清盛ー重盛ー維盛ー六代)。 なぜこの地にそんな超名門サラブレッドの御墓があるのかというと、六代は…
名執権と称された北条泰時(法名、常楽寺殿)の御墓は、大船の常楽寺にあります。 彼を名執権たらしめたのは、貞永元年(一二三二)に制定した日本における最初の武家法…
今の巨福呂坂は近代に開鑿された道で、 鎌倉時代の巨福呂坂は西側の峠を越えていたという。 鶴岡八幡宮の車払所を真っ直ぐいくのが今の巨福呂坂。車払所を左に折れたの…
明け方の材木座海岸。 かつて由比浦(ゆいのうら)と呼ばれた鎌倉の玄関口。風が強く。波が激しい。 『吾妻鑑』 貞永元年(一二三二)七月十二日条には、 勧進聖人往…
頼朝の御墓がある法華堂跡の麓にあります。 源氏の白旗がなびく。 勝運の神様だという。 まだ勝運は内包されているのだろうか? 思わず社殿ではなく、 山上の御墓に…
西御門にある源頼朝の墓の横にあります。 源希義は頼朝と同じ母を持ちます。平治の乱で父、義朝が敗れると頼朝は伊豆国へ。希義は土佐国介良庄(現在の高知県高知市介良…
年4回レキシノワ小冊子を自宅にご郵送します!! 鎌倉を訪れた方が楽しかったと思える一つに、この小冊子レキシノワが加わればよいなと考え始めました。ですので毎号、…