HAKATA TO ECOTOBA 祖原元寇古戦場跡
対馬→壱岐→博多湾と迫ってきた元軍。「蒙古襲来絵詞」は、上陸した元軍との戦い(赤坂→鳥飼→祖原)を、竹崎季長を主人公として描く。 文永の蒙古合戦激戦地の1つと…
対馬→壱岐→博多湾と迫ってきた元軍。「蒙古襲来絵詞」は、上陸した元軍との戦い(赤坂→鳥飼→祖原)を、竹崎季長を主人公として描く。 文永の蒙古合戦激戦地の1つと…
赤坂を西へ向かった竹崎季長。「蒙古襲来絵詞」では,竹崎季長が元軍と鳥飼潟の「塩屋の松」で戦っている様子が描かれている。 その名残が塩屋橋。この辺りで激しい戦い…
今から749年前の10/20(旧暦)。 蒙古襲来絵詞の主人公、竹崎季長は筥崎から赤坂を経て、蒙古軍に立ち向かっていく。 この赤坂は蒙古襲来絵詞に「馬のあしだち…
蒙古襲来絵詞は筥崎からはじまる(冒頭詞書の順序が入れ違いという指摘)。 「筥崎の陣を打ち出で、博多に馳向」 筥崎宮は日本三大八幡(他に宇佐・石清水)のひとつ。…
大宰府政庁自体は平安時代末期には荒廃していたようだが、高麗の牒状には「日本国惣官大宰府」や、寧波の「天一閣」に蒐集された石碑には「日本国大宰府博多津居住弟子丁…
日本三戒壇(奈良の東大寺、栃木の薬師寺)のひとつ。 他に延暦寺などにもあった。戒壇とは僧になる者が戒律を授かる場(授戒)。辞書によると戒律とは、仏が自発的なも…
かつて九州の寺院をまとめる「府大寺」として栄えたという観世音寺。大宰府政庁跡の東にある。入り口の石碑「観世音寺」の書体がとってもカッコイイ。 何よりも宝蔵に収…
蒙古に立ち向かい日本の大将を務めた少弐氏。 少弐氏と中世の博多を知るには、いったん大宰府をざくっと見ておかないと思って大宰府政庁跡に寄ったが、古代の歴史的遺産…
トツゼンレキシノワ4/23(日)10:00→12:00 Plus広場で弁当+プチハイキング ちびっ子ご家族含め総勢7名。世代を越えてお喋り+ピクニック。ただそ…
北条時宗の同母弟、宗政は、兄に何かあった時のスペアという宿命を背負い生まれた。彼を信頼する時宗は、引付衆をすっ飛ばし評定衆に加える。さらに引付頭人、武蔵守に任…
禅興寺は明治に入り廃寺。現在は塔頭の明月院さんがその歴史を伝える。 禅興寺は時宗の父・時頼が建てた持仏堂を前身とするという。文永五年(1268)頃に北条時宗が…
六地蔵(称名寺)鎌倉郡今泉村の風景。 (鎌倉郡今泉村は明治時代までの村名) 衆生の苦悩を救済するという六種の地蔵菩薩が出迎える入口。 観光客で賑わう鎌倉のイメ…