HAKATA TO ECOTOBA 筥崎宮

HAKATA TO ECOTOBA 筥崎宮

蒙古襲来絵詞は筥崎からはじまる(冒頭詞書の順序が入れ違いという指摘)。

「筥崎の陣を打ち出で、博多に馳向」

筥崎宮は日本三大八幡(他に宇佐・石清水)のひとつ。12世紀頃から対外交易の拠点として栄えたという。

文永の蒙古合戦では社殿以下が焼け落ちた。

時の亀山上皇は「敵国降伏」の御宸翰(ごしんかん。天皇直筆の書)を筥崎宮に納め、四海の静謐を願った。境内には蒙古軍船の碇石がある。