西御門にある源頼朝の墓の横にあります。
源希義は頼朝と同じ母を持ちます。平治の乱で父、義朝が敗れると頼朝は伊豆国へ。希義は土佐国介良庄(現在の高知県高知市介良)に流されました。
治承四年(一一八〇)源頼朝が伊豆国で挙兵すると、平氏は希義を疑い、希義に追討命令を下しました。土佐国では平氏の家人である蓮池家綱や平田俊遠が希義を討つ動きをみせました。希義は彼の地で亡くなったと伝わります。
平成六年(一九九四)高知市介良にある希義の墓の土と石が、鎌倉にある頼朝墓所の横に運ばれました。800年を越えての再会です。
今、頼朝の墓の横にはしっかりと希義が寄り添っています。