小冊子レキシノワ四号では、北条時政と北条一族の繁栄を「迫力の三つ鱗ヒストリー」と題して特集しました。北条時政は多くの子供達に恵まれ、後に一族は繫栄していきます。ここでは時政と後妻牧の方との間に生まれた子供達をまとめておきます。
〇先妻との子
時政の子として有名なのが、頼朝の奥さんとなった政子、二代執権となった義時です。この二人は先妻(名前はわかっていない)との間に生まれた子です。ほかに石橋山の合戦で戦死した宗時と、後に義時を支えた時房もいました。
〇牧の方との子
牧の方との子で最初に生まれるのが、養和元年(一一八一)に生まれたとされる後に稲毛重成に嫁いだ娘です。続いて寿永二年(一一八三)誕生の、後の平賀朝雅室となる娘。元暦元年(一一八四)に生まれた、後の畠山重忠室となる娘。文治元年(一一八五)誕生の、後の三条実宣室となる娘。文治三年(一一八七)に生まれた、後に宇都宮頼綱に嫁ぐ娘など、五人連続で娘が二年おきに誕生します。
そして待望の男児が文治五年(一一八九)に生まれた政範です。政範は三代将軍実朝が京都の貴族、坊門信清の娘を迎える使者として元久元年(一二〇四)に上洛し、病で急死しました。
他に坊門忠清に嫁いだ娘が知られています。
以上、時政は牧の方との間に多くの娘を儲けています。彼女たちは時政が政治の表舞台にたった時にその影響をうけました。稲毛重成・平賀朝雅・畠山重忠は政争で亡くなり、彼らに嫁いでいた時政の娘たちは、悲哀をまのあたりにします。