前回は以仁王の乱→源頼朝の挙兵→治承寿永の乱(源平合戦)→鎌倉幕府の成立。につながる直接的なキッカケとなった「治承三年十一月の政変」を簡単に書きました。そこで今回は「治承三年の政変」で処罰された内容を、松園斉氏の論文「治承三年のクーデターと貴族社会―花山院流と藤原基房―」に拠りながら見ていきます。
1、関白:藤原基房(配流、出家) → 藤原基通
2、権中納言・左中将:藤原師家(基房子) → 藤原良通(九条兼実子)
3、太政大臣:藤原師長(頼長子:城外、出家) → 空席および不明
4、権大納言・按察使:源資賢(城外、翌年免ぜられる) → 空席および不明
5、権中納言・春宮大夫:藤原兼雅 → 藤原忠親
6、権中納言・右衛門督:平頼盛 → 藤原実家
7、権中納言:藤原実綱 → 空席および不明
8、右中将:藤原隆忠(基房子) → 空席および不明
9、参議・右兵衛督・皇太后宮大夫:藤原光能 → 藤原家通(右兵衛督)、藤原朝方(皇太后宮大夫)
10、太宰大弐:藤原親信 → 藤原隆季(太宰権帥)
11、越前守:藤原季能 → 平通盛(教盛子)
12、参議・左中将:藤原定能 → 藤原隆房
13、大蔵卿・右京大夫・伊予守:高階泰経 → 藤原雅経(大蔵卿)、藤原隆成(伊予守)、藤原基家(右京大夫)
14、右中弁:平親宗 → 藤原兼光
15、右少将・三河守:平時家 → 平忠度(清盛弟)
16、備中守:藤原光憲 → 平師盛(重盛子)
17、右少将・三河守:藤原顕家 → 平知度(三河守)(清盛子)
18、右少将:源資時 → 空席および不明
19、陸奥守・式部権大輔:藤原範季 → 藤原実雅
20、大膳大夫:平信業 → 藤原済綱
21、蔵人・右小弁・中宮大進:平基親 →源兼忠(右小弁)、藤原行隆(蔵人)、藤原宗頼
22、左衛門佐・相模守:平業房 → 藤原範能(相模守)
23、美濃守:藤原定経 → 源則清
24、右馬頭:藤原定輔 → 空席および不明
25、加賀守:平親国 → 藤原保家
26、出羽守:藤原顕経 → 平信兼
27、左馬権頭:平業忠 → 平信基
28、阿波守:藤原孝貞 → 平宗親
29、河内守:源光遠 → 源康綱
30、淡路守:藤原知光 → 平清房
31、周防守:藤原能盛 → 平範経
32、但馬守:源信賢 → 平経正
33、甲斐守:藤原為明 → 藤原宗隆
34、大蔵大輔:中原宗家 → 空席および不明
35、佐渡守:中原尚家 → 平仲盛
36、検非違使・左衛門尉:大江遠業 → 藤原景高(左衛門尉)、藤原景尚(検非違使)
37、検非違使・左衛門尉:平資行 → 源光長(検非違使・左衛門尉)
38、検非違使・左衛門尉:藤原信盛 → 平忠綱(検非違使)
39、上総介:藤原為保 → 藤原忠清
40、前備後守:藤原為行 → 空席および不明
41、右少将:源雅賢 → 空席および不明
42、左衛門佐・常陸守:高階経仲 → 平宗実(重盛子)
43、検非違使・左衛門志:中原清重 → 空席および不明
44、検非違使・右衛門志:中原重成 → 空席および不明
45、検非違使・右衛門府生:安倍(佐伯)久忠 → 空席および不明
46、伊勢守:大中臣忠清 → 空席および不明
47、大舎人頭(白河倉預):藤原兼盛 → 空席および不明
48、院近習:藤原盛景(西景) → 空席および不明
49、東宮蔵人:高階隆仲 → 高階親家(為清子)
50、東宮蔵人:平親能 → 藤原邦隆(隆成子)
51、丹波守:藤原行雅 → 平清邦(邦綱子、清盛猶子)
52、近江守:平親俊(親房) → 高階為清
このように大幅な入れ替えによって、平氏政権の強化をはかった清盛ですが、強引な政変は社会の基層に大きな亀裂を生じさせることになります。