人物紹介〜千葉常胤〜

人物紹介〜千葉常胤〜

 千葉常胤は桓武平氏の一族で、上総介広常と同族の流れをくみます。下総国の在庁官人だったので、千葉介とよばれていました。保元の乱では後白河天皇方に参陣しました。

平治の乱で敗れた源義朝が、東国へ落ち延びる際、龍華越において敵方に遭遇しました。この窮地に、源義家の子陸奥六郎義隆が命を棄てかばったので、義朝はなんとか逃れることができました。この時亡くなった義隆には、生後五十日余りの赤ん坊がいました。この赤ん坊を常胤が流人として預かりました。赤ん坊は後に毛利冠者頼隆と名乗ります。

 治承四年に頼朝が伊豆で挙兵、石橋山の合戦で敗北し、安房国へ逃れてくると、常胤は頼朝の要請にこたえ、参陣を約束します。頼朝が安房国を出て北上すると、常胤は下総国の平氏方である目代を討ち、さらに常胤の挙兵を聞いて向かってきた千田判官代親政を捕縛します。そして頼朝を迎え入れ、頼隆を紹介します。以後、常胤は頼朝の忠臣として、篤い信頼を得ることとなります。

 富士川の戦いや、佐竹氏討伐・一の谷の戦い・奥州合戦など主要な合戦に参陣し、鎌倉幕府の創成に深くかかわった常胤は、頼朝が亡くなった二年後の建仁元年(一二〇一)に八十四歳で亡くなりました。