源頼朝の文書を書いたのは誰?
前回、前々回で、東寺百合文書WEBで検索した「源頼朝」に関わる古文書を取り上げました。その中で、身分の高い人は自分で文書を書かず、意を承った者が書き、承認の…
前回、前々回で、東寺百合文書WEBで検索した「源頼朝」に関わる古文書を取り上げました。その中で、身分の高い人は自分で文書を書かず、意を承った者が書き、承認の…
前回の投稿では、東寺百合文書WEBの「ミ函/22/2/ 文治2年閏7月25日(1186)」文治二年「源頼朝書状案」を取り上げました。今回は検索すると出てくる…
前々回の投稿の際、東寺百合文書WEBでお気に入りの人物や地名などを検索してみようと述べました。そこで創刊号で取り上げた「源頼朝」を検索すると、7通の古文書が…
東寺百合文書について触れていますが、そもそも東寺(教王護国寺)とは?という所が抜けていましたので、ざっくり書いておきます。 東寺は794年の平安遷都とともに…
レキシノワvol.01 古文書は通信手段。古文書を見てみよう!では、東寺百合文書の 「函/番号ヰ函/89/2/文書名播磨国守護赤松満祐奉行…
レキシノワvol.01 古文書は通信手段。古文書を見てみよう!では、東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)の折紙(おりがみ)を取り上げま…
小冊子レキシノワvol01の鎌倉史跡散歩のひと足延ばしてでは、頼朝の墓を取り上げました。 この墓へと続く石段の数を、地元の小学生は頼朝の年齢と同じ数だと、麓の…
小冊子レキシノワvol01の鎌倉史跡散歩では、源頼朝の邸宅+幕府跡を取り上げました。 大倉幕府跡は、鶴岡八幡宮の東にあります。 鎌倉に入った頼朝は、この地に邸…
小冊子レキシノワを創刊して、 一ヶ月が経ちました。 置いて頂いた飲食店さんに お聞きしたら、もう無いよとの事。 まったく持って帰る人がいなかったらどうしよう、…
正月は越後国で過ごしました。 雪がたくさん降り、一面銀世界となりました。 何千年と変わらない風景が、 広がっていました。 美味しい食事とお酒を堪能しました。 …
サイトを覗いて頂いた皆様、小冊子レキシノワを手に取っていただきました皆様、誠にありがとうございました。 今年は、新型コロナウィルスが世界中に広がり、これまで経…
源頼朝の時代が書かれている主な史料を掲載します。 史料とは歴史研究の素材となる文献や遺物、文書、日記などを指します。 「玉葉」九条兼実(玉葉)長寛二年~建仁…