東寺百合文書WEBで「源頼朝」と検索すると①

東寺百合文書WEBで「源頼朝」と検索すると①

 前々回の投稿の際、東寺百合文書WEBでお気に入りの人物や地名などを検索してみようと述べました。そこで創刊号で取り上げた「源頼朝」を検索すると、7通の古文書がHITします。その中の一番古い、文治二年の「ミ函/22/2/ 文治2年閏7月25日(1186)」について触れてみます。

 この文書は文書名「源頼朝書状案」とあるように「案文」(写し)です。本文は仮名交じりで書かれています。私的な書状だということ、写しだということが重なり、走り書きのような文書で、何が書かれているのかわかりづらい。そこで鎌倉遺文の翻刻を見ると次のように載っています。

「山しろの国きのこほりのうち、これにしり候田地ハ、日よしてん一くにさた候て、上分をハ、神事にあてられ候へく候、あなかしこあなかしこ、

文治二閏七月廿五日    頼朝判

しやくわうゐんとの」

 鎌倉遺文の翻刻と実際の古文書を照らし合わすと、何かが違う印象を受けます。それは「変体仮名」という現在使っている「ひらがな」の基の字源とは、異なる漢字をひらがなとして使っていたからです。

 文章だと難しいので、実際に「あ」を取り上げて説明してみます。

今の「あ」は、漢字の「安」から来ています。これは明治三十三年の小学校令施行規則で採用された字源を基にしたひらがなです。それまでは、「あ」をあらわすために、「安」の他に「阿」がよく使われ、稀に「愛」や「悪」「亜」があてられることもありました。つまり「a」とう語音を示すために、たくさんの漢字が候補としてあがったのです。

 今回の「源頼朝書状案」を原文そのままに書き出してみると、

「山しろ乃国起能こほりのうち、これ于し里候田地ハ、日よしてん一具尓佐た候て、上分とハ、神事于あてられ候へく候、あな可しこゞ、

文治二 閏七月廿五日   頼朝判

志やくわうゐんとの」

となります。この文章の中で「変体仮名」は「起」=「き」、「能」=「の」、「于」=「に」、「里」=「り」、「尓」=「に」、「佐」=「さ」、「可」=「か」、「志」=「し」となり、たくさん使われていることがわかります。

 鎌倉遺文の翻刻は、これらをすべて「ひらがな」に置き換えているので、原文書と翻刻を比べると何かが違う気がするのです。

 古文書のひらがなは、ほとんど「変体仮名」混じりで書かれています。「変体仮名」は「くずし字用例辞典」をはじめ、古文書の辞典類の最後に必ず列挙されているので、慣れておくと便利です。