馬坂城は平安時代末期に、新羅三郎義光の孫である昌義が拠点とした場所です。昌義時は佐竹郷一帯を所領としたので佐竹の名字で呼ばれました。
山城や城郭に詳しくはないので、よく分からず、さっと見て帰るのだろうと思っていましたが、めちゃくちゃ雰囲気の良い城跡で、時間が経つのを忘れて探索してしまいました(山城ハマるかも?!)
物見跡、五段切岸、西城、土堀など遺構は良く整備保存されています。景色もGOOD
案内板によると敷地は約6032m2。3つの曲輪が設けられ、北を鶴が池、西南を山田川が流れ、その間は湿地帯という天然の要害だったようです。
佐竹氏は頼朝による攻撃を馬坂城ではなく、もっと堅牢な金砂山に籠り応戦します。
そして3代隆義の時代に太田城(舞鶴城とも)へ移りました。変わって4代秀義の子、義清が稲木氏を名乗り馬坂に居住。その後、馬坂城は長く佐竹氏一族によって管理されていましたが、佐竹氏出羽国(現在の秋田県)移封にともない廃城となりました。
かなりゆっくりしてしまい、、、予定変更最優先で行きたい西金砂神社へ直行西金砂までで40分意外にかかるな