日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代ですが、すべては平安時代の延長にあるといえます。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道です。ただし一口に時代といっても政治・社会・経済・文化など時代を構成する要素は数多くあります。そこで何回かにわけて、時代について述べていきます。今回は「社会」にかかわる中でも「末法の世」についてまとめてみます。
「末法の世」とは、釈迦の入滅後、千年または千五百年、あるいは二千年後に仏法が衰えて、社会に混乱が起きるという正法・像法の次にくる世をいいます。
仏の教えが廃れ、教法だけが残る最後の「末法の世」は一万年も続くとされ、日本では正法・像法の後、平安時代の永承七年(一〇五二)に末法にはいったします。
「末法の世」の到来は、社会不安と重なり、現実的に受け入れられていきます。
社会不安とは、政治の腐敗・諸宗の乱れや僧兵の出現・武士の台頭をはじめとする、治安の悪化によって引き起こされました。人々は現世利益のみならず、来世への極楽往生を願うようになりました。
こうした救いを求める願いに応えたのが、浄土宗の開祖法然でした。法然は南無阿弥陀仏を唱えると、誰でも往生できるといい(専修念仏)、貴賤を問わず支持を集めました。
さらに法然以外にも、末法の世をきっかけとして新たな教えが、次々と現れてきます。法然の弟子、親鸞や臨済禅の栄西・道元。鎌倉時代中期には、日蓮や一遍が社会に大きな影響を与えました。
これらは仏教が堕落したから、社会が乱れているという考えに基づき、仏教の立て直しをはかるものでした。こうして次々とあらわれた教えを、鎌倉新仏教とよんでいます。