鎌倉時代を知るには平安時代を理解する!!~武士の誕生~
日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代ですが、すべては平安時代の延長にあるといえます。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道です。ただ…
日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代ですが、すべては平安時代の延長にあるといえます。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道です。ただ…
安房国へ逃れた頼朝は、再起をかけて安房国掌握につとめます。第8回で安西景益の参陣に触れましたが、武士達の協力だけでは、平氏追討という大願は成し遂げられません…
鎌倉市大船にある常楽寺は、北条泰時ゆかりの古刹です。この常楽寺の裏山に、木曽義仲の子で、頼朝の命によって殺害された源義高の墓があります(木曽塚・木曽免とも)…
先日。伊豆の熱海から修禅寺へ車で山道を抜けました。途中、石碑があり横目でみると、堀親家屋敷跡の文字が見えました。堀親家というと、頼朝挙兵時に参陣した「吾妻鏡…
文章がかたくわかりづらいという意見がございましたので、今回からちょっと文体を変えてみます。試行錯誤しながら、良いようにしていきます。 さて今回とりあげる木…
日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代だが、すべては平安時代の延長にあるといってよい。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道である。ただ…
前回の史料講座では、安房国に落ち延びた頼朝のもとへ、安房国の安西景益が参上した「吾妻鏡」治承四年九月四日条を読んだ。今回は、三日後の九月七日条木曽義仲の挙兵を…
大庭景親は桓武平氏良文流鎌倉氏の一族で、相模国大庭御厨の下司職を務めていた。御厨とは伊勢神宮の荘園のようなもので、景親は荘官的な任務を預かっていたと思われる…
院の近臣とは、一般的に院政をおこなう治天の君の側近をいう。治天の君の側近は、血縁はもとより荘園の寄進や献金・労務の奉仕を通して治天の君との繋がりを深め、次第…
前回の史料講座では、安房国に落ち延びた頼朝が幼い頃に親しく接していた安西景益に参上するように命令を下した箇所を解説した。今回はその続きを読みながら、頻出する…
日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代だが、すべては平安時代の延長にあるといってよい。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道である。ただ…
伊豆国田方郡北条の在地豪族。伊豆国田方郡北条は伊豆の国の国府三島に近く、北条は狩野川流域の交通の要衝にあたり、時政は在庁官人として国衙となんらかの関与をして…