史料講座 第4回.山木兼隆を討つ〜頻出する字について 其の壱〜
前回は、頼朝挙兵の第一矢の場面を取り上げ、助詞について解説を加えてみた。 今回は山木兼隆を討つ場面を古記録において「レ点」が付くよく使われる字について述べて…
前回は、頼朝挙兵の第一矢の場面を取り上げ、助詞について解説を加えてみた。 今回は山木兼隆を討つ場面を古記録において「レ点」が付くよく使われる字について述べて…
源頼朝が平氏追討の挙兵のてはじめに討ったのが、伊豆国の目代をつとめた山木兼隆であった。 この目代はあまり聞き慣れない言葉だと思うので、国司や在庁官人という…
摂津源氏の源仲政の子で先祖は酒呑童子討伐や土蜘蛛退治で有名な源頼光につながる。 鳥羽法皇の寵愛を受けた美福門院に近侍し、保元の乱では美福門院の支持する後白…
日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代だが、すべては平安時代の延長にあるといってよい。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道である。た…
古記録を吾妻鏡から読む。1回目が返り点について・2回目が読解だったので、第3回目の今回は助詞を補う点について解説を加えてみる。 読む箇所は頼朝挙兵の場面をとり…
鳥羽上皇の第四皇子。久寿二年(一一五五)に兄の近衛天皇が崩御すると、美福門院の支持する後白河の第一皇子守仁の中継ぎとして29歳で即位した。鳥羽法皇崩御後に起…
西那須野インターから西へ車でおよそ一時間。急流として名高い箒川沿いの山々を抜けていくと塩原温泉郷に辿り着く。ここの温泉の特徴は、源泉数が関東2位(全国9位)…
後白河院の第三皇子。兄に守仁親王(二条天皇)、守覚法親王、異母弟に憲仁親王(高倉天皇)がいる。守覚法親王が出家していたため、「吾妻鏡」では「二宮」と書かれて…
今回は「吾妻鏡」の本文の冒頭を読解してみたい。 『吾妻鏡』治承四年(一一八〇)四月九日条 「四月小九日辛卯。入道源三位頼政卿可レ討二滅平相国禅門清盛一由。日者…
いくつも翻刻された史料があるのに、なぜ「吾妻鏡」なのか? 「吾妻鏡」以外の多くの史料は、登場人物になじみがなく、時代背景の推移をイメージするのが難しいものが…
ひとくちに史料といっても、原文書(古文書・古記録)・影写(原文書を写したもの)・翻刻(活字化されたもの)などがある。 原文書(古文書)は、当時の人が書いたも…
歴史に興味関心を持ち、本を読み進めていくと、必ず史料という言葉がでてくる。 この史料というのは著者の記述した内容が、過去のどのような素材から導き出したか?を…