鎌倉と房総を結ぶ道 「朝夷奈切通」
鎌倉七口の中で、もっとも古道の雰囲気を今に伝える朝夷奈切通。 六浦口とも呼ばれています。鎌倉から六浦(金沢区)→房総半島。 北条泰時が仁治元年(1240)に道…
鎌倉七口の中で、もっとも古道の雰囲気を今に伝える朝夷奈切通。 六浦口とも呼ばれています。鎌倉から六浦(金沢区)→房総半島。 北条泰時が仁治元年(1240)に道…
源頼朝を石橋山の合戦で破った大庭景親には梶原景時など多くの相模国武士団が従っていました。その軍勢は頼朝方300騎🐴に対し、大庭方は3000余騎🐴もの大軍だっ…
歴史を中心に文化・観光を関連させがら、3ヶ月に1回発行しているフリーマガジン「レキシノワ」📙 小冊子をテキストに、鎌倉の歴史をより深く解りやすく学んでいき…
横浜市戸塚区俣野に大庭景親の弟、俣野景久ゆかりの俣野観音堂があります。 俣野景久は剛勇を誇り「曽我物語」でも力自慢として登場します。 後に頼朝が房総半島から…
場所:ネクトン大船さん1階「POP-UP SPACE in kamakura」 レキシノワに至る本たち。 かまくら蔵書室さん主催、フナゾウvol.3「BOOK…
伊豆で挙兵した源頼朝の前に立ちはだかったのが大庭景親です。大庭御厨(藤沢市)の北西、宗賢院という御寺さんの南方の丘陵に彼の館があったと伝わります。 近くに…
源義朝の沼浜旧宅・鎌倉悪源太義平の供養を由来とする光照寺がある沼間には、もう一つ河内源氏と関わりの深い場所があります。 それが神武寺です。 「吾妻鏡」の建久…
鎌倉悪源太義平は頼朝の異母兄です。母は三浦義明の娘と伝わっていますが、検討を要するようです。 義平は父義朝が上洛した後、鎌倉の館を譲られ、坂東で活躍しました…
2席ありますよ~。 なんとなく歴史に興味・関心はあるけれど・・・ 「難しそう」「どこから手をつけてよいのかわからない」「人の名前や地名を覚えるのが大変」「そ…
かつて三浦一族と大庭御厨に侵攻した頼朝の父、義朝。 「吾妻鏡」の建仁二年二月二十九日条には「故大僕卿(義朝)沼浜御旧宅」とあり、この沼浜が今の沼間にあたります…
鎌倉幕府草創に活躍した佐原義連を開基とするのが満願寺です。 発掘調査により往時は、今の数十倍の広さを誇る大伽藍であったことがわかりました。 さらに鎌倉の頼朝創…
芦名に鎮座する十二所神社はかつて「三浦十二天」と呼ばれました。 十二天とは辞書によると、 一切の天龍・鬼神・星宿・冥官をまとめて、世を護る十二の神をいうようで…