無量光院跡

無量光院跡

3代秀衡による極楽浄土の世界。

正面の御堂の四方の扉には、観無量寿経の内容と、秀衡が狩猟をしている姿が描かれていたといいます。観無量寿経とは、浄土往生の方法として無量寿仏(阿弥陀仏)や、その極楽浄土などに対する一六の観想を説いたお経をいうようです(日本国語大辞典)。なるほど十六の修行が描かれていたのですね。そしてその中で狩猟をする秀衡の姿。。。どういう意味なんだ??

本尊は丈六の阿弥陀像。御堂はもとより三重の宝塔や建物内部の装飾も、すべて宇治の平等院を模して建立されました。

夕日が背後の金鶏山に沈む時、極楽往生の世界は最高に美しい姿を見せるようです。

3代秀衡の館「伽羅御所跡」

無量光院の東門に秀衡の常の御所がありました。

吾妻鏡、文治五年(1189)九月小十七日条「無量光院東門構一郭〔号伽羅御所〕秀衡常居所也、泰衡相継之為居所焉」

今は住宅地🏘で、史跡の案内板だけ。

奥州藤原氏は秀衡の代に最盛期を迎えます。その影響力は都にまでおよび、奥州藤原氏の中では唯一、鎮守府将軍・陸奥守になりました。

秀衡の跡を継いだ泰衡もこの場所を居所としています。今回、奥州藤原氏の史跡を清衡→基衡→秀衡と追ってきました。期しくも滅亡を迎えた4代泰衡に譲られた「伽羅御所跡」たけが謎のベールに包まれたまま。。。そんなふうに思いました^ ^