院の近臣

院の近臣

 院の近臣とは、一般的に院政をおこなう治天の君の側近をいう。治天の君の側近は、血縁はもとより荘園の寄進や献金・労務の奉仕を通して治天の君との繋がりを深め、次第に政治的影響力を持つようになっていった。

 院の近臣は、院の権威を背景に自己の権益に対する正当性を主張したため、これまで荘園社会を形成していた摂関家や大寺社などの権門とたびたび衝突するようになった。

 特に受領が莫大な富を得るようになると、治天の君へ成功(じょうごう)・重人(再び同じ国の受領となる)するのが一般的となり、特定の家が院の近臣を形成するようになる。

 そして少数だが蔵人や弁官を務め、院の政務を補佐する者もいた。彼らは国政を司る太政官に、院の意向を反映させるため、必要不可欠な存在だった。また治天の君の政治顧問的な役割も担った。

 彼らは院庁(いんのちょう)の家政機関である院司(いんのつかさ)の職務をつとめ、院庁下文や院宣の発給に関わり、院の政治的意思を伝えた。

 院司の主な役職を取り上げると、下記の通りとなる。

 院司の最高責任者は院別当という。公卿や上皇が天皇に在位中に側近として活躍した蔵人頭が任命される場合が多い。公卿の任命は「公卿別当」、四位の任命は、「四位別当」と呼ばれた。公卿別当から院執事(執事別当)、四位別当から院年預(年預別当)が1名ずつ任命され、院庁を統括した。鎌倉時代にはその上に院執権が公卿別当の中から1名選ばれた。

 院別当を補佐する役を院判官代という。院判官代は、例えば院庁が発給した文書に署判するなど、院庁の庶務を処理した。基本的には五位から1・2名または六位から4・5名が選出された。

 院判官代の下で文書の作成・考案と雑務に従事したのが、院主典代である。六位の中から2・3名が任命され、院庁職員の責任者である庁年預が1名選ばれた。

 院主典代の定員外になった、上皇が天皇に在位中に六位蔵人を務めた者を特別に任命した役職を、院蔵人という。

 各方面から上皇への奏請を取り次ぐ役を、院伝奏という。院伝奏は後白河院の時代に務めた吉田経房や高階泰経を初めとする。

 上皇と仙洞御所を警護する役を院御随身という。主に近衛府から選ばれた。

こうした院に仕える多くの人々(院司)によって院庁は運営された。そして院司の上層部は院の近臣と呼ばれ、重要案件に携わり、政治に関わりを持ち歴史の表舞台に登場してくる。