鎌倉時代を知るには平安時代を理解する!!~地方行政機関(国庁)~

鎌倉時代を知るには平安時代を理解する!!~地方行政機関(国庁)~

2020年10月23日

日本初の本格的な武家政権の時代といわれる鎌倉時代だが、すべては平安時代の延長にあるといってよい。特に平安時代末期を理解することが鎌倉時代を知る早道である。ただし一口に時代といっても政治・社会・経済・文化など時代を構成する要素は多い。そこで何回かにわけて時代について述べていく。今回は「社会」にかかわる内容をまとめてみる。

平安時代の地方社会は、国庁という今の県庁所在地のような機関を中心として成り立っていた。

では国庁にはどんな機能があったのか?

国庁とは国司が政務をとった役所(国衙)で、税所、健児所、検非違使所、田所、出納所、調所、細工所、修理等、御厩、小舎人所、膳所、政所らの屋舎があった。

主な屋舎について詳述すると、

税所は、その国の租税・官物の収納事務をつかさどった。検校、惣判官代、大判官などの職員がある。はじめは国守によって補任されたが、後に世襲して土着化し、税所を姓とすることもあった。

健児所は、平安時代以降、諸国の国府に設置された健児が詰めている所をいう。鎌倉時代以後は、足軽、中間ちゅうげんなどが詰めている所をいった。

検非違使所は、中央にならって諸国に設置された職と役所。その任務は中央と同じく、犯人の検挙や風俗取締りなどを職務とした。

田所は、国衙領の現地にあって、雑務一般、特に検田帳や田図などの土地関係の帳簿を取り扱う所をいう。

調所は、貢物を取り扱う役所。

膳所は、文字通り膳をととのえる所。食物を調理する所。台所。厨をいう。

国庁には

検田、収納、交易、佃、臨時雑役の使いに任命された人びとが、諸郡に出発した。

検田は、検注ともいい、田の面積や品等を検査することをいう。

は、平安初期から戦国時代にいたる荘園領主直営の農地をいう。種子・農具・食費などは領主が負担して下人、所従または荘内の農民に耕作させ、全収穫を領主の所得とした。ただ佃は国衙領などでも行なわれ、預所・地頭の佃もあり、佃は幅広く使われた。室町時代には一定の年貢高を定めて農民に小作させるものが多くなり、佃は衰滅していった。

 このように国庁には様々な機関があり、一国の税から犯罪、交易などを取り仕切る重要な機能を持った場所であった。このため多くの人が集住し国府を形成した。