目代(もくだい)とは?

目代(もくだい)とは?

2020年9月3日

 源頼朝が平氏追討の挙兵のてはじめに討ったのが、伊豆国の目代をつとめた山木兼隆であった。

 この目代はあまり聞き慣れない言葉だと思うので、国司や在庁官人という地方役人の構成とからめて解説を加えてみる。

 まず国司とは令制の地方官で、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の四等官で構成される。国司は中央から派遣され、任期は四年と定められていた。国司のつとめる役所を国衙(こくが)といい、国衙の所在地を国府といった。

 目代というのは国司の最高位である受領(ずりょう)または国守の代理人の任を務め、任国に下向しない受領・国守に代わり、現地で執務する私的な代官を指した。平安時代中期以降は、任国に赴かず複数の国司に任命される受領・国守が増えた(遙任国司)。彼らは在京して朝廷や院・平氏の近臣として仕えたので、任国には眼代として目代を派遣し国務を掌握させた。

 しかし国司や目代は赴任国の実情に通じているわけではなかった。このため地方役人である在庁官人等が実務をおこなった。この目代や在庁官人が在勤する役所を「留守所」(るすどころ)と呼んだ。

在庁官人は、目代の監督下で租税収取や軍事などの実務に当たった。このため対立する場合があった。頼朝挙兵時の伊豆国でも目代の山木兼隆と在庁官人の北条時政は、対立関係にあったといえる。