源頼朝法華堂跡

源頼朝法華堂跡

頼朝邸(大倉幕府跡)の裏山にある頼朝の墓あたりが法華堂跡といわれています。もともとは頼朝の持仏堂がで文治五年(1189)に聖観音を本尊として建てられました。

建久十年(1199)正月に頼朝が亡くなると、ここに葬られます。翌年の一周忌には持仏堂ではなく法華堂と改称されています。また後に墳墓堂といわれました。

宝治元年(1247)北条氏と三浦一族がぶつかった宝治合戦では、三浦泰村以下の三浦一族が頼朝の御影の前で自害しました。

江戸時代には頼朝の墓の下に堂があり、これを法華堂といっていましたが、明治(明治五年)の神仏分離でこの法華堂は白旗神社となりました。

頼朝の墓の石塔(鎌倉石の多層塔)は、安永八年(1779)頼朝の子孫を称した島津重豪が新たに建て、平成二年(1990)に補修されました(国指定史跡)。